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人の人生は山登りに似ている。。。🥺💘 山は険しい程登り甲斐があると思うのはわたしだけ🤔
話は遡りますが、
今から20年程前に知人に人の前世が見える人がいると言われて紹介された。
その方は予知能力があり、とても教養深い女性で色々な霊的なことを教えて頂いた。
ただ1つ欠点、それは彼女自身が自分の才能能力に慢心し、いつも高みから発言し、はじめは良かったのですが謙虚さに欠けていたと後になって気付きました。
例えば、「あの人って霊的に低いのよね」とか高いとか自分の物差しで人を判断する人だったのです。
それは即ち、自分は一番のお山のてっぺんにいて、そこからの尺度で人を判断していたのです。
でも、本当は人の価値とは霊的に高い低いではなく、簡単に申せば、早いか遅いかだけの違い。
上も下も本来はないのです。
我々は神様の分け御霊。
だとすれば、本当は山の頂上からみる景色は既に知っている。
最終の頂から見る景色を一度観たらもうそれでいいのです。
要は人間としてこの3次元に生まれ落ちたと言うことはもう一度人生という新たな山登りを経験したいが為に生まれ落ちるのです。
だから、登り方も千差万別。
ただひたすら真っ直ぐ登る人もあれば、横路から登る人や回り道する人やあえて険しい道を選んで登る人やら、それは様々。
山の道が険しければ険しいほど登り甲斐があるのです。
ただ残念な事にただ一回の人生で頂上の頂を望む人などいないと言うこと。
人は生まれ落ちる時に自分の人生に目標(テーマ)をもって出てくるのです。
今回は家族愛を学ぼうとか慈悲を学ぼうとか、例えば、前世で人を殺していたら今度は殺される役をやるというように両方を経験してみないと世の中ものの道理がわかりません。
それは何が正しくて何が間違っているかではなく、両方あってこそのバランス。
殺す方も殺される方も両方やってみないと分からない。
全てがケースバイケースではあるのですが、、。
それは即ち陰陽の法則。どちらかに振れることではなく、プラス(+)マイナス(-)=0、つまり両方演じることで無の境地を悟ることなのです。
という具合にこの世界は巧みに神によって作られ、魂の学びのフィールドとして与えられた場所。
それぞれがそれぞれの計画した山登りですが、中々一度の人生で山の頂に登れる人はおらず、登った最終地点が悟り。
涅槃でもあるのです。。。
貴方(貴女)の今回の山登りのテーマはどんなんなのでしょう…✴️
私は私の山を今登っている最中ですが、道に迷ってばかり、到底頂まで着けそうにないようです。
後は人生後半、一日一日を大切に今という瞬間を生きたいと願うばかりです。
最後まで読んで下さった方、感謝と御礼申し上げます。
今日一日ありがとう様のお言葉をかりて、今日も一日ありがとうございます🙏🙇🌠
感謝の追記🙇🙇🙇🙇🙇🙇🙇🙇🙇💕💕
上達の探求様
貴方の運営される様々なnoteで拙いわたくしの記事をご紹介下さり、嬉しくまたありがたく存じますm(_ _)m
とても光栄です🙇
心から感謝と御礼申し上げます🙏🙇✴
みゆきんち様、わたくしのこの記事をご紹介くださり、誠にありがとうこまざいます🙇🙏🌠
これからもどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m😊💕
今日も一日ありがとう様、
貴方が運営されてるnote『ありがとうをありがとう』に拙いページの記事をご紹介下さり、身に余る光栄に存じますm(_ _)m
心から感謝と御礼申し上げます🙇🙇🙇💕
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