毎年春になると、バルコニーに飾るお花を買ってきて鉢に植える。つまり冬越えできなくて、枯れちゃうの。引っ越してきてから数年は毎年品種を変えて色々なお花を飾ってきたけど、最近はゼラニウム一択。なんたって、真夏の日差しにも耐え、手入れがあまり必要がなく、水もあまり欲しがらない?つまり水を一生懸命あげなくても元気に花を咲かせていてくれる。そんな都合の良いお花というわけ。 それが、ゼラニウム。 近所のお家のお庭やバルコニーでも溢れんばかりに増えてたくさんの花をかせて賑やかに家を飾って
コロナ禍で自宅時間が増えた。「有意義に過ごせねばならない」という強迫観念が自分を追い詰める。そんな必要はない、のかもしれない。しかし何かをせずにはいられない。そこで、最近学んだ山口拓朗さんの教え、「アプローチ力」を鍛える練習をすることとする。 夕飯の片付け時、林檎が冷蔵庫から転がり落ちた。その出来事をネタにどの様なアプローチで文章が書けるか。①日仏バイリンガルの我が子。「落ちる」と「転ぶ」の言葉の使い方がおかしい。 フランス語と日本語での意味と訳の微妙なズレについて。
「4歳からのヤマハ音楽教室」キャッチコピーのお手本のように、私も女の子の習い事の王道、ピアノを4歳から習い始めた。 私が習いたいと言って始めたものだったか、残念ながら記憶はない。覚えている事と言えば、小さい頃はグループレッスンで、和音の練習が大の苦手だった事。譜読みも得意ではなく、新しい曲を始めても、自分ではメロディを奏でることは出来ず、先生に音取りをしてもらって、ようやく曲を理解する感じだった。 音楽の勉強というよりは、先生の選んできた曲を自由に選んで、弾いていた。目標を意
私の義母は昔ながらの民間療法に詳しい。民族的背景からも東洋医学を基本とし、看護婦を職にしていたのでその知識は深い。普段から薬より食事で体を整える方法を教えてくれる。子供が生まれて、いや、生まれる前の妊娠期より体に良いもの、悪いもの、色々な教えを受けた。驚くことに、状況によって出される義母の処方箋はドラえもんのポケットの様に多種多様で底なしだ。今回は、咳に関して対処した方法を紹介したい。 風邪の咳 リュウは小さい頃から、気管支が弱い。風邪をひくと必ずある一定のルートを辿り病
お留守番の子供達、父ちゃん母ちゃんは二人で海外旅行。 夢は見るものと思っていたが、意外にも叶えようと思えば、夢を叶えることは可能なのだということがわかってしまった。 私は今、ギリシャのサントリーニ島に旅行中。 結婚15周年に託けて、ロマンティックにも夫が旅行を計画してくれたのだ。行き先は長年の夢だった夢の島。 思い起こせば、若かりし頃、サントリーニの白い街の写真の虜に。新婚旅行はここへ行きたい♡固定観念ガチガチの当時の私に敢えて言うならば15年目にしてついに、新婚旅行と
フランスでお味噌汁が飲みたい。 私の和食に対する姿勢が前向きになった瞬間だった。国際結婚で海外暮らしとなり、毎日食卓に上がっていて当たり前の私にとって脇役だった味噌汁が姿を消した。 母として台所に立つようになり、栄養への意識が高まると、脇役だった味噌汁、その味噌という微生物の醸し出す神秘の世界に魅了されていった。また、手前味噌なる簡単な仕込みで得られる食の安心や、栄養素、健康への期待など、身近でありながら関心のなかった味噌の底力の強さを知ることとなった。 味噌で日本文化
「ユキは何か習いたい?」ちょうどユキが3歳半頃だった。 何か習い事をするならやらせてあげたいなぁと,、なんとなく聞いてみた。返事にそう時間はかからなかった。 「バイオリン!」 どうして即座にバイオリンという言葉が出てきたのだろう。音楽が身近にある環境でもなく、どこで言葉を覚えていたのかも不思議なくらいだった。 ふと頭を過ったのは、夫のお友達ご夫婦のお宅に遊びに行った際、当時5歳ぐらいのお兄ちゃんがバイオリンを習っていて弾いて聴かせてくれた。これしかバイオリンとの接点は
日曜日の朝、家から車で田舎道を平均時速90km!で走り抜け、20km程離れたゴルフ場へと足を運ぶ。子供の習い事の一つのゴルフレッスンの為だ。 夫の趣味を言わば強引に子供達へ求めた結果だ。それでも、今ではそれなりに腕は上がってきて楽しんでいる。 私も1年ほどレッスンを取り、最初の一歩は踏み出したが、毎回変わる体の軸を整える必要性を感じ、専ら自主トレで励むようにしている。レッスンであれこれ技術を教えられても、結局は体の中の統制が取れなければ、意味がない。クラブと体の一体感が必要な
こちらパリ郊外。都心に近い程に運転手のマナーは酷い。毎日、車に乗った瞬間から私の戦いの火蓋は切って落とされる。「お先にどうぞ」「ありがとう」「ごめんなさい」が出来ない人達に、遠慮は無用。泣寝入りしてたまるものか。気づけば私の運転技術は大層上達したものだ。仏人よ、ありがとう。
子供の送り迎えの時間を換算したら、どれほど車に乗っている時間が長いか、驚かされるだろう。そして、習い事の、待ち時間。子供はお稽古ごとに精を出し、成長してくれるのは親としては、嬉しい限りだが、そのかたわら、有意義な待ち時間にしなければ。という思いもフツフツと湧き上がる。いや、焦るのだ。時間がただ過ぎていくのは、罪悪感を感じるのかもしれない。 隙間時間にブログやnoteへの記事を打ち込めたら、なんだか得する気分になるのではなかろうか、と常々考えていた。 ノート型の持ち運びやす
お気に入りの記事をフォローしていたら、noteを使ったファンページを持つ方に遭遇。気になったので自分も始めてみました。