月と陽のあいだに 188
波濤の章
進水式(1)
御霊祭りが近づく頃、アンザリ領のヤズドから、建造中だった大型船の組み立てが終わったという知らせが届いた。御霊祭りが終わったら進水式を行うので、カナルハイ殿下とネイサン公爵のご臨席を賜りたいという。
白玲は、知らせを聞いて感無量だった。いよいよ白い帆を上げた船が、氷海の荒波に漕ぎ出す日が来るのだ。
「ヤズド様やキタイの皆様によろしくお伝えください」
久しぶりに顔を見せてくれたネイサンに伝言を頼むと、自分で伝えればいいと笑われた。
「アンザリ領へは、カナルハイ妃殿下と皇女たちも同行される。進水式では、妃殿下が門出の綱を解かれるのだよ」
新しい船は、艫に繋いだ飾り綱を解かれて初めて水に浮かぶ。その門出の綱を解くのは、貴族の女性の役目だった。
「せっかくだから、そなたも出席するといい。新しい船を見たいだろう?」
だが、白玲はすぐに行きたいとは言えなかった。
カナンガンの海を思い出すと、今も胸の奥が疼く。トーランを失ってまだ半年も経っていないのだ。アルシーはあの後体調を崩して、白玲の側仕えから退いてしまった。それなのに、祝い事などして良いのだろうか。新しい船のことを考えると胸が躍るけれど、そんな自分を嫌悪する自分も、心の中にいるのだった。
「行ってくればよい」
考えた末に、進水式に出席したいと願い出た白玲に、皇帝はあっさりと頷いた。
「氷海航路の開発は、そなたの願いであろう。この国の新しい扉を開くための船なのだから、その目でしっかり見てくるがよい。カナルハイの家族と同行するなら、警護も十分つけられる。帰ったら、トーランにも報告してやりなさい」
カナルハイ夫妻と二人の姫宮、白玲とネイサンを乗せた皇家の専用艇は、御霊祭りが終わるのを待って、ユイルハイの桟橋からカナンガンへ向かった。護衛の船に守られて運河を下る優美な船団を、沿岸の人々は珍しそうに見送った。
アンザリ領の秋は駆け足でやってくる。カナンガンの港の突堤から望む氷海は、北寄りの風を受けて白く波立っていた。
浅瀬に乗り上げていた演習船は、すでに引き出されて造船所に運ばれていた。傷ついた帆柱や甲板は新しく作り直され、船底や舵も丁寧に修理された。船長はじめ乗組員たちも、傷が癒えると次の航海に向けて訓練を始めていた。
一緒に巡った海はそのままなのに、トーランだけがいなかった。「ごめんなさい」と呟いた白玲の頬に、涙が一粒こぼれた。
白玲は抱えていた花束を海に流した。しばらく黙祷してから目を開けて振り返ると、カナルハイ家の姫宮たちが、行き交う船を珍しそうに眺めていた。二人の姫宮は白玲よりも年下で、船旅の間に親しくなった。
第二皇子カナルハイは、白玲の父アイハルの異母兄だ。ネイサンのような華はないが、聡明で温厚な人柄に、人々は厚い信頼を寄せている。白玲にとっても、心から尊敬する上司の一人だった。
その家庭も落ち着いて暖かく、家族の愛情を知らない白玲は、初めて本物の家族を見たと思った。皇帝はカナルハイが側室を持たず、男児に恵まれないことを嘆いていたが、妃が夫を愛し信頼している様子を見れば、側室を持たないカナルハイの気持ちもわかるような気がした。
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