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正解

RADWIMPSの『正解』を聴いて、思い出した。
10代最後の頃、予備校の教室で答え合わせと解説が終わった答案用紙を前にして、「これから何を見て答え合わせをすればいいんだろ」と思った日のこと。
この先訪れる日々の出来事に「解答集」などあるはずもなく、ただ漠然とした不安と悲しさが、いつまでも心の底に残った。

あれから何十年もの時が過ぎ、私の人生の答案用紙はもう8割がた埋まっている。
それが正解なのか不正解なのかわからないまま、残り時間もそう多くない。
日々の暮らしに追われて、深く考える間もなく出した答え。答案用紙には、乱れた文字や書き直そうともがいた跡が、あちこちに散らばっているのだろう。
そうやって書き連ねた答えの群れが、今日の私を作っている。

生活の糧にも健康にも恵まれて、穏やかな日々を生きてきたと思う。
生命を脅かされるような危険も、天地がひっくり返るような出来事もなく、幸せな日々だったと思う。
それでも、何かを求めて、ここでないどこかを求めて、ジタバタともがいていた自分を切り捨てることはできない。
人に優れた才能もなく、ひたすらな努力を続ける根気もなく。
求めたものは高邁な志でも理想でもなく。
ただ誰かに認めてほしい、褒めてもらいたいという幼稚な願いだったと、今は素直に思う。

答案用紙の残りの空欄をどんな答えで埋めるのか。望む文字か、望まれる文字か。
残り時間がわずかになった今でも、迷いは尽きない。
ためらいと書き直しの繰り返しになったとしても、最後の時に握り締めた答案用紙に、『ギリギリ合格』の赤い文字があったなら。

今日私は63歳になりました。

追記  誕生日に投稿するはずだった記事です。半年遅れでお目見えしました。

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