月と陽のあいだに 216
落葉の章
山並み
岳俊が輝陽国へ戻ったのは、貴州府の町並みに初夏の日差しが降り注ぐ頃だった。この日を待ちわびていた陽淵は、報告に訪れた岳俊を労った。
白玲との再会や月帝との非公式の会談、今後の交渉の窓口が白玲夫妻になることなど、予想以上の成果といえた。
だが、白玲の手になる返書を読み終わると、陽淵は眉間にしわを寄せた。
「山の部族への不可侵を条件とするとは、予想外だった。アイハルの一件をもっと表に出してくるかと思っていたのだがな」
暗紫山脈の領有は、できれば触れたくない懸案の一つだった。
「先手を打たれた、ということか」
つぶやく陽淵に、岳俊が答えた。
「自分の足で歩いてみて、やはりあの道は交易路には向かないとわかりました。交易の拡大を望むなら、海路の充実が一番です。
けれども資源としてみれば、大きな可能性があると思います。
山の部族を支配下に入れれば、交易とは別の富が生まれるかもしれません。そのために払う対価と釣り合うかはわかりませんが……」
陽淵は報告書から顔を上げると、窓から北の山並みに目をやった。
岳俊は白玲の近況を伝えた。
月蛾国の貴族の暮らしぶりや、白玲の夫であるネイサンの為人、月帝の飾らない一面などが手に取るようにわかった。
「白玲殿下はご懐妊で、秋にはお子が生まれるそうです」
思いがけない言葉に、陽淵は黙り込んだ。ネイサンと結婚したと聞いた時は、月蛾国にも物好きがいるものだと軽口を叩いたが、あの白玲が母になることは考えていなかった。
岳俊の報告を受けて間もなく、月蛾国にいる間者から追いかけるように知らせが来た。
白玲夫妻が暴漢に襲われた。ネイサンは落命し、白玲は重傷を負った……。
ようやく消息がわかり、その幸せを祈ってやれると思った矢先だった。なぜ白玲ばかりが傷つかなければならないのか。
せっかく開いた月蛾国との窓口が失われるかもしれないという危機感以上に、陽淵は白玲が気掛かりでならなかった。
やはりあの娘は、月蛾国に置くべきではないのだ。
そう思っても、迎えに行くことはできない。窓の向こうの山並みが、いつもより一層遠くに霞んで見えた。