月と陽のあいだに 208
流転の章
慟哭(2)
翌日は日差しが眩しい晴天になった。
早くから医学院へ向かう準備を整えていたアルシーに、白玲は外朝へ行ってくれるように頼んだ。
「診察が終わったら、久しぶりに陛下にお目にかかりたいの」
「医学院へお供するつもりでおりましたのに」
アルシーが怪訝な顔をすると、白玲はわずかに微笑んだ。
「今日はハンナが付き添ってくれるから、大丈夫なの」
そして執務室へ届けたい書類や持ち帰りたいものの控えを渡すと、一人で馬車に乗り込んだ。
邸を出た馬車は湖畔の道を進む。明るい日差しが、穏やかな湖面に反射してキラキラと輝いている。まもなく雨季が始まると、しばらくは空も湖も灰色に塗り込められて、こんな輝きもお預けだ。
白玲は、この国のカラッとした夏が好きだった。御霊祭りが終わって夏が駆け足で過ぎる頃、お腹の子が生まれる。この子に及ぶかもしれない危険を取り除くために、今日はとても大切な日になるのだ。
「思いがけないことが起きるかもしれないから、よろしくね」
馬車の窓を開けて、並走する騎馬の護衛に声をかけた。護衛たちは、ネイサンからいつも以上に警戒するよう指示されている。
護衛頭がわずかに馬を寄せると、白玲は一人だけに届く声で言った。
「オラフ・バンダルが現れるかもしれないわ」
護衛頭は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を戻すと「わかりました」と頷いた。
その頃、湖畔の邸では、身支度を終えたネイサンが白玲の書斎を訪ねていた。
「白玲はいるか? 時間があるから、医学院へ付き合おうと思ったのだが……」
外朝へ届ける書類を準備していたアルシーが、振り向いた。
「妃殿下は先ほどお出かけになりました。今日は診察のあと外朝へ出仕されるご予定で、私は先に宮でお待ちすることになっております」
ネイサンが眉間に微かな皺を寄せた。
「ではニナが付き添っているのか。まさか一人で行ったのではあるまいな」
「今日はハンナがいるので、私たちの付き添いは不要とのおっしゃいまして……。ニナも私も、それぞれの仕事をするようにと仰せつかっております」
「あれは、何を企んでいるのだ?」
ネイサンの顔色が変わった。
「何もうかがっておりませんが、問題がありますでしょうか?」
戸惑うアルシーに、ネイサンは声を荒げた。
「白玲は、危険なことほど一人で抱え込むのだ。トーランの一件以来、ますます身近なものを巻き込むまいと頑なになっている。
医学院へわざわざ出かけたのも、気分転換ではあるまい。そなたもニナも遠ざけて、一人で何か仕掛けたに違いない。まさか、オラフか?」
馬を引けと、ネイサンが玄関へ走った。アルシーもその後を追った。
「私は医学院へ向かう。そなたは宮へ行って、近衛を医学院へ差し向けるように伝えよ」
それだけ言うと、ネイサンは愛馬に鞭を当てた。アルシーも馬を頼むと、ネイサンに続いて邸の門を走り出た。
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