夜からの手紙 ~月と陽のあいだに 外伝~
ハクシンの記憶(2)
父は、優しすぎる母に負い目を感じていたのでしょう。母をとても大切にしました。その証拠に、しばらくして母は懐妊しました。母は喜びましたが、父は本当の意味では母を愛してはいなかったのです。
なぜなら、父には新しい愛人がいたのだから。そして彼女は、母とほとんど同時に子を産んだのです。
父の新しい愛人は、祖母であるネレタ側妃があてがった侍女でした。ナーリハイ家の血を引く娘で、父の側仕えをするうちに寵愛を受けるようになったのです。
彼女の妊娠がわかると、父は側妃にしようとしましたが、これはお祖父様の猛反対を受けました。正妃の出産を控えた時期に側妃を迎えるなど、正妃に対する侮辱に他なりません。正妃の実家であるバンダル侯爵家を敵に回すような愚行は、到底許されるものではなかったのです。
父は、正妃の出産後、折を見て侍女を側妃に迎え、生まれた子を我が子として認めようと約束しました。
やがて侍女は、ネレタ妃の宮で、父親によく似た女の子を生みました。立ち会ったのは、産の医師の他はネレタ妃の側近の侍女と友人が一人だけ。それでも母子ともに健康で安産だったそうです。
一方の正妃は難産でした。
貴族の姫君の初産は、難産になりやすいとも聞きます。きっと、風にもあてないように宮に引きこもっていたのが、仇になったのでしょう。育ち過ぎた子は、なかなか産道を抜けられず、ようやく生まれた時には、首に巻きついた臍の緒で窒息していました。医師たちの懸命の蘇生の甲斐もなく、亡くなってしまったのです。死んで生まれた子も、女の子でした。
父は頭を抱えました。意識を失っている正妃が目覚めて、我が子が死んだと聞かされたらどうなるか、考えなくてもわかることでした。その後で、女児を産んだ侍女を側妃に迎えることなど、できるわけがありません。
途方に暮れた父に、手伝いに来ていたネレタ妃の側近が耳打ちしたのです。侍女の娘と取り替えなさい、と。
その場にいた人々には、きつい緘口令が敷かれました。漏らした者は、たとえ相手が身内でも命はないと脅されました。
父は、ネレタ妃の宮で産後の体を養っていた侍女の元を訪ねました。そして死んだ子と、侍女の子を取り替えました。侍女は必死で抵抗しましたが、ネレタ妃の手のものに阻まれて、娘を奪われてしまったのです。
必ず側妃に迎えるからとなだめる父に、侍女は条件をつけました。
それは側妃ではなく、姫君の乳母になることでした。出産直後で乳は十分出ます。実の母と名乗れなくても、乳母ならば正妃よりも近くで我が子を育てることができます。
父はその条件を受け入れました。こうして侍女の産んだ子は、正妃腹の皇女となり、「美しい夜」を意味するハクシンと名付けられました。
私は生まれた時から、名前の通りに闇を抱いてしまったのです。