伝えたい気持ちはまだ「好き」ではないんだよ
自分にとって楽しい、という状態をひとに見せるのが恥ずかしい。
いいよと言われてもすぐに蓋をしようとしてしまう。
変わろうとするのは勇気がいる。
本当の気持ちを抑え込む自分も、「いいんだよ」って言う自分も、楽しい!と感じて止まない自分もそれぞれいて、まあ誰の言うことも分かる気がするんだよ。って言ってる自分は何なんだろう。
ひとの言うことを聞きすぎてる。
すぐに好きになろうとしてしまう。
「言ってしまう」と本当にそんなような気がしてきてしまう。
「してしまう」って言うのがよくないんだな。
「そんなところに居ようとしなくていいんだよ」
それだけのことを、自分に伝えることが、どうして難しいんだろうね。
行きたいところに行けばいいんだよ。したいことをすればいいんだよ。
言いたいように言えばいいし、感じたいように感じればいい。
だけど何って、わたしは本当に自分がそれを「したい」のかがいつも分からないんだ。
いっしょにいるひとが嫌じゃないのがいい。
関わるひとにとって望ましいのがいい。
うそをついたら分かる。
心に背くと涙が出る。
泣くことができないころもあった。どうして涙が出るようになったかと言えば、わたしが意図的に自分を傷つけることを言えば「わたしを愛する人がとても悲しむ」からだと思う。
わたしを愛する人が、わたしが傷つくことで傷つくならば、わたしはわたしが傷つかないようにしたい。
愛されるのは覚悟がいる。
勇気をもって変わる必要がある。
そうしていずれ、自分がちゃんと自分を愛していることに気付くことができればいいね。
わたしはわたしのことがたいせつだよ。
形のあるものはずいぶん頼りになるから、言葉を置いておこうと思う。
わたしは、形の見えないものの話をしたいから。言葉にできることは、できる範囲で、言葉という形にしておこう。
まだ形の見えないもののことを、いずれ、悩まず伝えられたらいいと思います。わたしはひとに伝えるということがきっと好きだ。
たくさん、答えが出るまで考えようとすると疲れることだけど、今日は少しだけ。「好きだと思えるところまで」にしておくといいんじゃないかと思うので、これだけにします。
また、考えられたら考えます。
あんまり滞在すると、気持ちがはみ出そうとするからおしまい。