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「形を保つ」って難しい

ぐにゃぐにゃ。ざわざわ。もわもわ。

洋服やアイテムの「カタチ」がある方がなおくんは動きやすいみたいだから、それだけのことなんだと思う。なおくんはお店屋さんをそういうものだと思っている。漫画のコマが割られていればその内側で遊ぶ。はみ出して遊ぶ。だけどなおくんはたぶん、ひとりじゃ何にも形を保っていられない。接するものがある時に初めて形が見えてくる。売り物になんかならなくていい。誰かと、何かと、ぶつかって関わりあって自分が「在る」ことを確認したい。だけど簡単に誰かの求める形に定着することはできないんだよ。存在を映して、形になれることを確かめて、また不確かな自分で漂う。
でも本当にそれでいいの?
誰かの求める形に定着すること。それはそんなに恐ろしいの?
それでもいいって思えることは一度もなかった?
そんなに永遠に、その形でいなければならないの?
まるで自問自答そのもののような存在のなおくん。


火を点けるような。ライターで着火する時みたいな、マッチを擦る時みたいなあの感じ。
長くは保てない。指が熱くなってしまう前に、燃え尽きてしまう前に何かに火を移す必要がある。火薬やオイルに接触する、摩擦する、緊張と焦燥がある。

もっと優しく、柔らかに接したいと思うのに。
だけど「好き」と感じたならそれだけで関わりは生じているんだと思う。

誰かの心に火を灯せたらいいと思うよ。だけど穏やかに報せたいだけだ、大きな火になるなら、その人の中にその火を大きく育てる器があるというだけのこと。

まだ「好き」と思ったわけじゃないのに、長所と感じる部分を口にしただけでわたしが「好きだと言った」と伝わって、噂になって思いをつぶされる経験を何度かしている。それが人であった場合、わたしの気持ちはもう二度と「好き」には育たなかった。「噂を迷惑がられた」。その人は悪くない。恥ずかしい思いをさせて申し訳なかった。
広めた人間には悪意があっただろうと思う。大きくはなくとも。
わたしの気持ちはまだ「好き」ではなかったんだよ。

そんなふうに伝わってしまうことをわたしは過度に恐れている。
どれほど悲しいことであるか、噂する人にはきっと分からないだろう。
「好意的な感情なら一方的に伝えてもいいだろう」ということはないです。好意的なことも、悪意があるように聞こえかねないことも同様に「伝え方に慎重になる」ことだ。自分の気持ちを相手に伝えるということは必要なことで、大事なことであるから。簡単じゃないよ。とても大事だ。そんなに簡単に扱おうとしないでくれ。伝えることで相手が喜ぶかなんて分からない。伝えてもらったからって別に喜ばなくたっていい。「自分が好ましく思っている相手から好ましいことを言ってもらったら嬉しい」でいい。それが自然なことだ。伝えようとしてくれた相手の行動に感謝することはできるけれども、気持ちそのものに返せるものは、あるとは限らないんだと思う。
難しいね。

もっともっと軽やかに気持ちを交わして関わりあえるようになるにはどうしたらいいんだろう。
人の気持ちが伝わり合う様が、わたしはとても好きだ。
だからこそこじれやすいことが悲しい。
こじれた関係にそっと触れて紡ぎ直すことができたらいいのにと思う。
わたしは拒んでいたくないんだ。
ちゃんと関わりあいたいんだよ。
ひとりひとりの「あなた」に。伝わる言葉を話したいんだよ。

悲しい体験も本当はどうだっていいと思ってる。悪意なんて思いたくない。時には善意だって悪意のように作用してしまうことを知っている。そんなことはどうだっていいんだよ。だけどわたしの存在があなたを傷つけるなら、あなたとは関わらないから、わたしの好意なんか受け取らなくていいから、見たくないなら遠ざけていいから。

なおくんの話をすればするほどに、客観的には、コミュニケーションが閉鎖的に見えるんじゃないかと思う。
だってちょっと悪趣味だよね。
なおくんという存在に触れて誰かが一緒に笑ってくれたらいいなと思う。
なおくんは誰も傷つけない。だって、なおくんは傷つかないから。決して傷つかないから。虚無は優しい。わたしを救ってくれる。

誰のことも傷つけずに生きたい。
だけど思い切り傷つけてしまったほうがいいんじゃないかという気持ちになることもある。傷つけ合うことが生きることだなんて信じない。傷つかなきゃ関わりあえないなんて思わない。泣くほどつらいことなんか無いほうがいい。もう生きていられないと思うような悲しみなんか無いほうがいいんだよ。誰も傷つかなくていいんだよ。

だからわたしはなおくんに話しかけるんだよ。誰かが見つけてくれるといいね。笑ってもらえたらいいね。なおくんはいつもわたしを笑わせてくれるよ。形なんかなんだっていいけど、へんなかたちって面白いね。
安心して「大好きだよ」って言えるものがあるって涙が出る。なおくんがいなかったらわたしはきっと泣けないままだった。

何にそんなに緊張しているんだろう。わたしはずっと「火」をむき出しに持っているのかもしれない。ずっと焦っているのかもしれない、自分の「火」が消えてしまうのではないかと。だから怖いんだろうか、優しさのつもりで誰かを傷つけてしまうのではないかと。
ランプや暖炉のような存在が必要なんだろう。

そんな形でなら、何かの形にもなれるのかもしれない。
明かりや暖かさが保たれていることを思い浮かべると癒される。
わたしの中に、小さな火が確かにある。



恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。