三日坊主日記 vol.310 『児島の児島ジーンズ』
まだしつこく岡山ネタで。
僕は20年ほど前から児島ジーンズばかり履いている。大阪堀江のとあるセレクトショップで見つけてその魅力を知ったのが始まり。あえてブランド名は出さないが、創業してまだまもない児島ジーンズのブランドだった。シンプルなデザインの16オンスのストレートジーンズ。インディゴブルーが他のブランドよりも濃く(当時ね)、16オンストいう厚めの生地も珍しかった。そして何より僕の体型にフィットして、とても気に入った。
その後、岡山にレギュラー仕事ができたこともあってお店にも何度も足を運んだし、わざわざジーンズを買うために岡山まで車を走らせたこともあった。初めてその店を訪れた頃は、まだ規模もとても小さかったんだけどジーンズ愛に溢れたとても良い店だった。創業者だったかその相棒だかだったか覚えていないが、他に客もいなかったので随分長く話し込んだのは覚えている。
それから間もなくして倉敷の美観地区にお店を移したり、倉敷(児島)自体がジーンズの街として注目を浴びるようになったりで、そのブランド(及び児島ジーンズ)を取り巻く環境は随分変わっていった。美観地区のお店にも何度か訪れたが、僕が話し込んだ彼はもういなかった。なんでも、ちょっとしたトラブルがあったとかなかったとかで仲違いしたという話だった。それからもそこのジーンズは履き続けた。もちろん他の児島ジーンズもいくつか試したが、やはり僕にはそのブランドの色と16オンスの厚みが心地良かったのだ(一時15オンスまでした作らなかった時期もあった)。
そんな僕が最近新しいお気に入りを見つけた。大阪に一件だけたまに行くジーンズショップがあって、そこで勧められたのだ。リーバイスのヴィンテージモデルをベースにしたデザインを作るブランドで、密かに人気だという。リーバイスはあまり興味ないな、と思いつつ履いてみるとカッコいいのだ。ゆったりとしていてどことなく今風だし、僕にぴったりのサイズが偶然残っていたのも何かのご縁だと思って購入した。
モノ自体も良かったんだけど、それ以上に惹かれたのは、そのブランドの商品なら一生修理してくれるというのだ。小規模自社縫製工場を持つからできるサービスなんだけど、ジーンズの修理をしてくれるというのは非常に嬉しいことなのだ。ジーンズというのは新しいのも良いが、履き古してクタクタになってきたらそれはそれでカッコイイ。いわゆるダメージジーンズと言われるモノなんだけど、わざとエイジングするんではなく履き古していくと、痛んでほしくないところも当然傷んでくる。
例えばお尻の部分。ここが薄くなる。薄くなって破れてしまうと下着が見える。若くていけてるお兄さんなら下着を見せても許されるかもしれないが、おっさんがそれをするとヤバい。それからタックボタン(前のボタン)が緩くなってくる。これも放っておくと社会の窓がオープンされて、ヤバいことになってしまうのだ。だから修理してくれるところを探すんだけど、上手なところはえげつなく混んでいる。店中に順番待ちのジーンズが溢れていて、半年待ちはあたりまえなのだ。それでも受けてくれたら良い方で、普通に断られることも多い。
ちょっと話が長くなった。今回、そのブランドのショップへ行ってきた。児島の駅から歩いて30分ほど。住宅街にある倉庫風の建物で、1階が縫製工場、2階が店舗になっている。商品ラインナップは多くないがどれもこだわりの製品で、この日も入れ替わり立ち替わりお客さんが訪れていた。僕のお目当てのジーンズは残念ながら合ったサイズがなく、ジーンズの代わりにTシャツを買って帰ってきた。修理の件を店主に聞いたら、確かにそうだと答えた。カスタムはやらないが、オリジナルの修理ならやりますよ、と。ありがたい。この姿勢がずっと続いてくれることを心から願うのだ。またくることにしよう。
その後、前述の20年来愛用しているブランドのお店へも寄ってみた。そこはもう僕の知るそれとは全然違い、巨大ブランドに成長していた。店舗も増え、会社の規模も大きくなり、社員さんも増えているようだ。創業当時から知るものとしては、嬉しいような、ちょっと寂しいような複雑な気持ちになった。
児島の駅まで歩いていたら、ある飲食店の前でおじさんがCB750の初期モデルK0をいじっていた。55年前の名車である。おじさんが話を聞いて欲しそうな目でこちらを見つめるので、立ち止まって15分ほど単車談義をしてしまった(開店準備中の女将さんは苦々しい顔をしていたけど笑)。こぎれいな割烹に見えた。またゆっくり来て、酒を飲みながらおじさんと話をしよう。
ありがとう岡山映画祭。ありがとう岡山。きっとまた来ます。