三日坊主日記 vol.292 『指一本でできるボランティア』
名古屋に来ている。
前回は『泥の子と狭い家の物語』の舞台挨拶で昨年おじゃました。新幹線で1時間、車でも2時間ほどと近いんだけど、なかなか機会がない。
名古屋といえばなんといってもACのCMが思い出深い。1998年だから26年前か。僕がフリーランスの演出家として仕事をし始めて5年程経った頃で、大阪で親しくして貰っていた広告代理店のCDが転勤先の名古屋から声をかけてくれた仕事だった。
ボランティアというのは決して難しいものではないし、大袈裟なことでもない。その気があれば指一本でもできますよ。ということを啓蒙するとても意義のある仕事。
当時、まだまだユニバーサルデザインは行き届いておらず、車椅子に乗っているとエレベーターのボタンさえ押しづらい(ボタンの位置が高過ぎる)という社会状況で、それをそのまま映像にする企画だった。
車椅子の方が弱者に見え過ぎないように、そしてもちろんヤラセに見えないように。そして、我々が意図することが一目瞭然で、しかも、できることならちょっとエモーショナルな仕上がりになるように。僕の演出家人生の中でダントツで一番多く演出コンテを何度も何度も描き直した仕事だ。
出演者選びにも苦労した。制作部曰く障害者の方に出演して貰うだけでもハードルが高い。だからオーディションはできない。出演を承諾してくれる方が見つかったらそれがどんな方であれその方で撮りたい、と。それはもっともな話だった。
当時はいまほどまだ障害者の方が暮らし易い環境ではなかった。競技に出場するような方たちならまだしも、一般の方が車椅子でテレビCMに出ることには大きな抵抗があったんだと思う。
しかし、見つかった方は競技こそしていないが、真っ黒に日焼けしたかなり健康的に見える方だった。僕は制作部さんに平身低頭お願いして、別の人を探してもらった。
幸運なことに、お2人目でよい人が見つかりことなきを得た。これ以外にもほんとにさまざまなハードルがあったんだけど、制作部はじめスタッフ、関係者の頑張りがあってとてもよい作品に仕上がった。
苦労した甲斐があってこのCMはいろんなところで高評価をいただいた。少し話題にもなったし、いろんな広告賞もいただき、僕のその後を大きく変えてくれた仕事になった。関係者のみなさま、その節はありがとうございました。また、名古屋で仕事できるといいなぁ。
後日談をひとつ。ある団体だったか新聞社だったか忘れたが、人差し指のない人への配慮がない。というクレームがついた。こういうクレームに代理店やクライアントはとても敏感に反応するんだけど、この時ばかりはさすがにだれも取り合わなかった。当然である。
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