三日坊主日記 vol.133 『母の日に想う』
クレジットカード利用料金の引き落としができないと連絡があった。
訳あってつい最近作ったカードの第一回目の引き落としだ。そんなはずはないと調べてみたら、なんのことはない、僕が銀行口座を間違えていたのだ。つまり、A銀行を引き落としに指定したのに、B銀行に入金していたのだ。なぜ普段使わないA銀行を指定したのか、普段使わないからあえてそうしたのか全く覚えがない。
日本人は平均3つの銀行口座を持つ人が多いそうだ。まあ、妥当な数だろうか。あまり多く持ってしまうと管理が煩雑になって良いことはあまりない。と言いつつ、僕は個人の口座だけで7つもある。別に口座作りが趣味ってことは全くないし、良からぬことをしている訳でもない。必要に応じて開設してたらこうなってしまったのだ。
どれもそれなりに使用しているので、とにかくいろんな意味で面倒臭い。その上、会社の口座もいくつかあるし、証券口座とか、保険の口座とか、自分でもなかなか把握できてないのに、僕に万が一のことがあったら残された家族が大いに困ってしまうだろう。
その点、うちの母は偉かった。母は2022年の秋に亡くなったのだけど、その約一年前に体調が良くないと掛かりつけの先生に診てもらった。先生は大きな病院での検査を勧め、自身の出身大学病院に紹介状を書いてくれた。数日後、検査を受けるために大学病院へ。自分の身体のことは自分が一番良くわかっているはずで、大して心配もせずちょっと買い物に出るような気持ちで出かけたようだ。
その日の午後、付き添ってくれていた妻が泣きながら電話をしてきた。リンパ性の白血病で、抗癌剤治療をしないと余命一ヶ月。治療をしてもどれだけ保つかは分からないということだった。青天の霹靂とはまさにこのことだ。その日、ふらりと出かけたまま家に帰ることなく入院しなければならない。こんなに辛い話があるのか。結局母は抗癌剤治療する道を選び闘病の末一年後に亡くなるんだけど、どこかで寿命を悟ったのか、ある日僕に電話をかけてきた。普段なら直接会って話すことだが、当時はコロナ禍でそうは行かなかった。
母は電話で、自分の家のどこに何があってそれをどうして欲しいか。自分が死んだらどこにどう埋葬して欲しいか、お棺の中に何を入れるかまで伝えてきた。もちろん、銀行口座のこと、証券類のこと、家の権利書、印鑑のありかなど、事細かに。実際にいわゆる遺言通りに動いてみて、母のこの行動がいかに有効で、残された人間の助けになるか。これがなかったら如何に大変だったかということが分かった。
まさに命懸けで病気と闘いながらもどこかで覚悟を決め、自分の意識がまだはっきりとあるうちに身辺整理するための電話をしてきた。立派である。僕もまだ先のことだと思わないで、いつその時が来ても困らないよう整理しないといけない。銀行口座は7つも8つも必要ないのだ。
それにしても、なぜこんなことを思い出すのだろうかと思ったら、今日は母の日か。