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三日坊主日記 vol.288 『沢木耕太郎さんとイシノヒカルとライスシャワーと』
少し前に、最近いつも読んでいる本の中に一冊は沢木耕太郎さんの本が混じっているということを書いた。
それはまだ続いていて、いまは『敗れざる者たち』を読んでいる。スポーツ選手にスポットをあてたルポで、僕よりずいぶん前の世代の人たちの話だけど、沢木さん独特の切り口と語り口で読み応えがある。6篇からなる短編集で、まずはカシアス内藤というプロボクサーの話。そして長嶋茂雄と2人のライバルの話。マラソンランナー円谷幸吉の話。どれもよく知らぬ事実ばかりでグイグイと引き込まれる。そして、イシノヒカルという競走馬の話に差し掛かったところで、読むスピードがガクンと落ちてしまった。
僕は昔、競馬が好きだった時期がある。義父が好きだったのと、当時競馬ブームだったこともあり、テレビでレースを見るようになった。そのうちに馬券も買うようになり、忙しい仕事の合間を縫ってたまに競馬場へも行くようになった。もちろん、どんなレースも見ているわけではなく、大きなレース、いわゆる重賞と言われるレースだけなのだが。そんなレースに出てくる馬はどれも素晴らしく超一流なんだろうけど、みな同じではない。茶色や白や黒。大きいの、小さいの。気性が激しかったり、おとなしかったり。それぞれに違いがあって個性がある。
そんな中で、僕は一頭の馬が好きになった。ライスシャワーという黒鹿毛の小さな馬。菊花賞で優勝し、ミホノブルボンというスター馬の三冠を阻止したこともあってか、ヒールっぽいイメージを持ったなんとなく暗い陰を背負ったような馬だった。しかし、僕はその小さく黒い身体でうつむき加減に黙々と走る姿が好きになり、彼の動向を常に気にかけ、出場するレースは必ず見るようになった。長い距離を得意としたライスシャワーはその後も春の天皇賞を2回も勝つ名馬になっていくんだけど、それでもどこか常に陰があって寂しげに映った。そこがまた良かったんだけれど。
1995年の宝塚記念。僕が33歳になる年の6月。同年春の天皇賞で勝ったライスシャワーは、無理をしてこのレースに出場した。僕を含め、なぜ出場する必要があるのかと疑問に思ったファンも多かったのではないか。いつも以上に濃い陰を背負っているように感じ、なんだか嫌な予感をだきつつ、恐る恐るテレビを見ていたのをはっきりと覚えている。鞍上の的場も、最初のコーナーを回った時点で様子がおかしいことを感じ取り「今日は勝つどころじゃない、慎重にまわってこよう」と思ったそうだ。
競走馬というのはとても繊細なもので、非常に危うい。針金のような細い脚で何百キロという体重を支えて猛スピード走るんだから無理もないが、よく怪我をする。そして、かわいそいなことに、脚を怪我すると身体の構造上長生きはできず、かなりの確率で殺処分される。この日のライスシャワーにも不運が襲った。左前脚を粉砕骨折して前のめりに崩れ落ちたままもう二度と立ち上がることはなかったのだ。
いや、立ち上がった。何度も立ち上がってもう一度走ろうとするんだけど、走れない。テレビで見ていてもわかるぐらいに足先がぶらぶらしている。人間でいうと足首のあたりだろうか。前に進もうとするその健気で痛々しい姿が忘れられない。そのまま係員たちの手でその場に幔幕が張られ、中で安楽死の措置が取られたのである。何度かレース中に馬が骨折した場面を見たことがある。しかし、みな足を引きづりながらも引き上げていって、ひとまずその場では皆がホッとする。しかし、ライスシャワーはその場でその命を終えた。
僕はテレビを見ながら恥ずかしげもなく泣いた。そして、いまこれを書きながらも泣きそうになっている。殺処分はもちろん馬を苦しませないための処置で、残酷なことではない。それはよくわかっているんだけど、なんだかとても(見ている自分も含め)理不尽な気がして、そのレースを最後に僕は馬券を買うのもレースを見るのもやめた。自分勝手なセンチメンタリズムというか正義感かも知れないが、なんだかとても悲しくて切なかった。それ以来、いまも競馬は見ていない。
だから、このイシノヒカルの話を読み進めるのが恐ろしいのである。僕はこの馬のことを知らない。だから、ハッピーエンドなのかそうじゃないのかもわからない。わからないから、ページを捲る前に頓挫してしまう。大袈裟だという人もいるだろうし、そんなアホなと笑う人もいるかも知れないが、僕はそんな奴なのだから仕方がない。