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三日坊主日記 vol.193 『悪は存在しない』

先日、映画『悪は存在しない』を見た。


監督は『ドライブ・マイ・カー』で、一般にも広く知られるようになった濱口竜介。日本人では、黒澤明以来はじめてアカデミー賞と世界3大映画祭のすべてで受賞を果たした若手の実力派だ。情報を一切遮断して、全く何の予備知識も持たずに見てきた。と、言っても濱口監督の作品というだけで過度に期待してしまうんだけどね。


※以下、若干ネタバレも含まれます、気になる人は読まない方がいいかも。


冒頭から長すぎるとも思えるプロローグに不穏な音楽が流れている。そろそろ終わるかなと思ってもなかなか終わらない。この長い長いプロローグで、見る人が勝手にいろんなことを想像してしまうのだろう。その時点ですでに術中にハメられているのかも知れない。


その後、必要最小限の出演者が最小限の動きや存在感で話は淡々と進んでいく。演出を排した演出というか、演技をしない演技というか、とにかく淡々と。その中で一人の少女だけが、なんだろう、生き生きとでもなく、かといって淡々とでもなく、とにかく自由にフラフラと動き回る。そのコントラストが、また見る人の想像力をひっ掻き回す。まさにサスペンスなのだ。きっと何かが起こるはずだと思わせつつ、話を進めていく。しかし、あくまでも淡々と。


映画などの映像作品(CMもそうだけど)の半分は音でできている。セリフや音楽に限らず、効果音や無音も含めた音。音の良し悪しで作品の良し悪しが決まると言っても過言ではない。だからこそ(相反することを言うようだけど)、音のことが気にならない場合が多い。つまり、意図的に音と映像をうまく組み合わせて作ってあるので、その世界観(物語)に没頭してしまい、普通は音に(だけ単独には)意識が行かないのだ。


しかし、この作品はずっと音楽が鳴っている。正確にはずっとではないんだけど、ずっと鳴っているかのように感じるほど音楽が際立っている。弦がメインになった不穏な音楽が。その点に僕はとても不思議な感情を持って見ていた。そう見せられたと言えるのかも知れない。


あとで知ったんだけど、この映画は石橋英子さんという音楽家が、濱口監督にMVを依頼したのが始まりだったそうだ。MVの企画が転がって映画になった。そう考えると音楽が立っているのも納得できる。また、この音楽と映画との微妙に不均衡なバランスを監督が計算して作ったのなら、ほんとうに大したものだと思う(あくまでも僕の感想ね)。


もうひとつ音の使い方が上手いと思わせられたのが、銃声。恐らく劇中で2発の銃声が使われていたと思うんだけど、この2発がとても効果的に観客の心理を操っている。遠くで聞こえる猟銃の音が世界観をごろっと変えてしまう。これがとても印象深かった。


唯一とも言える抑揚あるシーン。開発業者と町の人々の話し合いの中で、住民側が全員理路整然と意見を述べていくのも興味深かった。住民(反対する側)が理詰めで意見を述べ、開発者側がなんの反論もできないのはある意味痛快ではある。そしてその糾弾によって開発者側の気持ちが変わっていくのもよく分かる。しかし、町民の意見が論理的すぎて少しリアリティに欠けるようにも感じた。唯一感情的になっていた若者の発言でさえ論理的というかきちっと的を射ているのだ。本当なら住民たちの多くは言葉に詰まるだろうし、思いを正確に論理的に話すことは難しいんだと思う。だけど、この潔さというか、無駄の省き方というのがこの監督の持ち味であり、上手さなのかも知れない。


誰にでも受け入れられる映画ではないだろう。僕自身、好きな映画かと聞かれるとそうでもないかも知れない。ただ、間違いなく見た人の心に棘を刺す映画ではあると思う。上映館が少しづつ増えていると言うことは、やはり多くの人に刺さっているんだろう。次の作品が楽しみな監督である。


それにしても150人ほど入る劇場で、観客は僕を含めてわずか7人。日曜の夕方だからなのか、日曜の夕方なのになのかわからないが、他人事とはいえ憂鬱な気持ちになる。



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