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三日坊主日記 vol.284 『今年も10月10日がやってきた』

あたりまえのように晴れている10月10日。


今日はお好み焼きの日なんだそうだ。全然ん知らんかった。焼くときにジュージューと音がすることや、みんなで鉄板を囲む形が10の0、つまり、丸いかたちだということで、2006年の10月10日に制定されたそうだ。知らんがな。他にも、目の愛護デー、お片付けの日、窓ガラスの日、ちくわぶの日、球根の日、ドラムの日、転倒予防の日、ふとんの日、缶詰の日、銭湯の日、世界メンタルヘルスデー、などなかなか盛りだくさんだ。ほんまに知らんがな。


僕は、1962年の10月10日に生まれた。もちろん記憶はない。その2年後の1964年10月10日に東京オリンピックの開会式を記念して、体育の日という名の国民の祝日になった。これも記憶にはない。一年中で一番晴れる確率の高い日だという統計のもとにこの日に決まったそうだ。知らんけど。そのお陰なのかどうかは知らないが、僕はそこそこ運動能力に恵まれ、晴れ男として毎年運動会だけを楽しみに生きるような子に育った。


しかし、ゾロ目の誕生日だとか、誕生日が祝日だとか、そんなことになんとなく恩恵というかちょっとスペシャルな雰囲気を感じだしたのは大人になってからで、子供の頃は何もいいことがなかった。一大イベントなのに学校が休みで「誕生日おめでとう」と、声をかけられた覚えがほとんどないからだ。「明日お誕生日だね、おめでとう」といってくれる女子もいなかったし、「昨日の誕生日おめでとう」といってくれる女子もいなかった。それは祝日など関係なく、只々人気がなかっただけなのかも知れないが。


女子か男子かは置いといて、誕生日が休日だというのはほんとうにつまらないものである。自宅でバースデイパーティーでも開いて、クラスメイトを招待するようなシャレたお宅なら良いかもしれないが、残念ながら我が家にそういう習慣もゆとりもなかった。誕生日といえなにひとつキラキラした思い出などないが、それでも誕生日が祝日だというのは、なんとなく国民全員で僕を祝ってくれているような気がして、結構嬉しかったのである。


しかし、1999年の10月10日を最後にまた普通の日になってしまった。この日のことはよく覚えている。確か、第2月曜日を体育の日にして連休を増やそうという理由で、その日を祝日から外したのだ。いやいや、ちょっと待て。祝日にしたり、また普通の日に戻したり、僕の人生を翻弄しないでいただきい。他人には分からないと思うが、誕生日にはそれなりに誇りとかプライドとかを持って生きているんである。


当時、総理大臣だった小渕恵三さんが、ブッチホンとかいって国民に電話をかけてまくっていたらしいが、本気でうちに電話があるんじゃないかと思っていた。誕生日を普通の日にしちゃってごめんね、と。実現する前に鬼籍に入られたけど。


まぁ、そんなこんなでいろいろあったけど、62回目の誕生日を元気に迎えさせてもらうことができました。丈夫に産んでくれた両親と、永年一緒に暮らしてくれている妻と、そして僕を生かしてくださっている全てのみなさま、そしてご先祖さま、神さま、すべてに感謝しています。ありがとう。愛してるよ!


おまけ。中一の時だったかな。他のクラスの女子がキャアキャアいいながら僕のクラスへ乱入してきていった、「見つけた、十月十日の子や!」と。当時まだウブな僕にはなんのことか分からなかったのである。なんだか、いろいろと騒がしい日に産んでくれて、ありがとう。



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