教えたのになぜ学んでくれないのか?それは、あなたが「教えたつもり」になっているだけです!
前に説明したにもかかわらず、なんでまた聞くの?
そう思ったことはありませんか?
家族や同僚、上司やお客様。
「これって、どうやるんですか?」と聞かれました。
「いや、それ先週お話ししましたよね?」
と言いつつ、イラッとした経験はありませんか?
家族や同僚だと、思わず声を荒げてしまったことはありませんか?
さすがに、上司やお客様相手だと、怒りのオーラをだしつつ、もう1回教えるなんてことになるでしょう。
この記事では、なぜそういう状況になるのか。
針金と粘土モデルを使って説明していきたいと思います。(^^)
まず、人間の経験を粘土の塊とします。広ければ、幅広い経験。粘土が高く積み上げられていれば、高度な技能や経験だと思ってください。
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次に、教えるという行為は、この粘土の塊に針金を刺す行為だと定義します。知識を与える=針金を刺す。針金の高さが難しさを表します。
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まず、基礎的な経験が無い場所には、針金は立ちません。
人間は経験から学ぶ生き物です。
思い出してください。あなたが赤ん坊だった時、親から歩き方を教えてもらいましたか?
寝返りの打ち方を教えてもらいましたか?
指の動かし方を教えてもらいましたか?
おそらく、「教えてもらったので、できるようになった」という人はいないと思います。
つまり、人間という生物は経験から学ぶことが非常に得意な生物なのです。
そして、学んだ結果を何度が失敗体験を通して実行できるようになります。
これに対して、ロボットは違います。
教えられたことから学ぶことが極めて得意です。
一度教えたら、いきなり100%その通り実行できます。
ロボットは、経験が不要なのです。
ここでは、人間には基礎経験が必要だということを知っておきましょう。
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この基礎が薄い。
粘土が薄いと長い針金はふらふらして、倒れます。
立ちません。
これが、教えたのに、学んでいないという状態です。
せっかくあなたが時間をかけて、丁寧に説明したのに、身につかなかった。
せっかくあなたが命の時間をかけて詳細を解説したのが、無駄になった。
それに対して、「イラッ」っとしたのです。
そして、再び自分の命の時間を使って説明することになるので、さらに「イライラッ」とするのです。
これは誰が悪いのでしょうか?
前に教えた人です。
そう、あなたです。
あなたが、正しく相手の状況を把握しておらず、相手に合わせた針金を刺さなかったのです。
相手の粘土が薄いと認識して、それに合わせた針金を刺せなかったのです。
相手の粘土が薄いならば、それに見合った針金である必要がありました。
それを怠ったあなたの責任なのです。
相手が聞いていないのが悪い?
なるほど。それもあるでしょう。
でも、私はこう思います。
相手に聞かせる状況、興味、感情をコントロールできなかったのが悪いと。相手が聞きたいという情報を提供できなかったのが悪いと。
では、これ以降は、どうすればいいのか。
教えるとはどういうことなのか。
それについてお話をしていきたいと思います。
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教えるというのは、針金を立てるだけ。
粘土は増えません。
じゃぁ、どうすれば粘土が増えるのか。
先ほどもお話した通り、当人の経験でしか増えません。
粘土を盛る時に、サポートがあると、すごく簡単に盛れます。
それが針金なんです。
そう、教えるという行為は、経験を早々に身につかせるためのサポート行為なのです。
決して、粘土を積むという主行為ではないのです。
講師の方で、結構勘違いされている人がいます。
「俺は100人に教えたぜ。」
とか
「1カ月でセミナー10回もやったぜ。」
とか。
その行為そのものには、まったく意味がありません。
その理由が次の絵です。
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「あー、先週セミナーに参加したけど、内容は覚えてないや。」
皆さんもこういった経験はありませんか?
会場に言って、話を聞いたという行為、つまり経験は覚えているのです。
しかし、その内容については覚えていない。
当たり前です。内容を経験してないのですから。
粘土針金モデルであらわすと、刺したという穴だけ残って、針金そのものが消えてなくなった状態です。
そう、この針金、風化して無くなるんです。
1週間もたったら、跡だけ残して、消え去ります。
この針金の特徴について少しお話します。
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針金は早々に風化します。
経験ありますよね?
期末テストの一夜漬け。
テストが終わった瞬間に、早々に消える。
経験せずに、知識だけを詰め込んだ結果です。
針金に太さはありません。
ただ、同じ付近で数本束ねると、安定化します。
繰り返し聞くことで、聞いたという経験となり、学習したことになります。
門前の小僧習わぬ経を読む
ってやつですね。
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何度も繰り返すと、人間の脳は、それを大事なことだと勘違いします。
繰り返し=経験です。
これが、知識の定着です。
しかし、これは手順を知っているだけ。
知識があるだけです。
例えば、バラフライの泳ぎ方を競泳の本で読んで、手足を動かすタイミング、息継ぎのタイミングを記憶したとしましょう。
じゃぁ、いきなりプールでバタフライを泳げますか?
無理ですよね?
実は、学ぶのに重要な三要素が3種類あります。
・知識(知っている)
・行動(できる)
・心(やりたい)
この1つでも欠けると、学んだことにならないのです。
この3要素は、機会があれば別なタイミングでお話ししましょう。
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知識を習得したら、実際に実行します。
この時、与えられた問題をどのレベルで解けるかは、粘土の高さになります。
粘土が低いと、低いレベルでしか解けません。
粘土が高い、厚いと、高いレベルで解けます。
例えば、紙を2つに切ってくださいという問題が与えられたとします。
3歳とかの子供やってもらったら、どうなりますか?
おそらく、手で2つに破りますよね?
6歳ぐらいでしたら、はさみでキレイに切るでしょう。
もう少し成長したら、定規を当ててカッターで切るかもしれません。
私なら?
職場にある裁断機を使いますね。
まっすぐきれいに切れますよ。
このように、問題を解くことはできても、どのレベルで解けるかは、粘土の高さによって変わります。
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じゃぁ、どうやったら高いレベルで問題が解けるようになるか。
経験させるしかありません。
教えた後、実際にやってもらうのです。
そうすることで、粘土が積まれます。
積みあがった粘土は針金と違い、風化しません。
形として残ります。
次回、問題を解かせると、高いレベルで問題を解きます。
手で紙を破らずに、はさみを使うようになるのです。
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よく、お偉いさんが「全社員に教育を実施せよ」なんて言います。
「教育について、あなたに教育させてください!」って言いたいです。
教育したら、それで目的が達成できたと思っているんでしょう。
教育という言い方は間違ってますね。
教えたら、目的が達成できたと思っているのでしょう。
育ててないのです。経験させてないのです。
先ほどセミナー回数を自慢した講師と同じレベルです。
教育というのは、受ける側のレベルを把握し、そのレベルをどこまで高めるか。それを明確にし、測れる状態にしてから始める必要があります。
そう、現在の問題の所在を明確にして、それが教育で解決できるのかから考えないとダメなんです。
その前提を無視して、自分の言いたいことを教えたら終わり。
集合教育なんかは、その最たるものです。
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みなさん、普通に集合教育受けた経験、ありますよね?
小学校、中学校、高校と、それが当たり前でした。
だから、それを経験して、それが常識となっています。
話は少しそれますが、クリティカルシンキングしてください。
実は、集合教育にはものすごく重要な大前提があるのです。
全員の知識レベルが同じであること。
そして、
成長の速度が同じであること。
この条件が満たされたとき、集合教育はものすごく効率のいい方法になります。
先生が生徒たちのレベルに合わせた丁度いい同じ長さの針金を刺したとき、全員に刺さります。
先生の1回の指導で、クラス30人が全員習得できます。
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そんな都合のいい話、ありません。
小学校1年生で、ひらがなカタカナ、漢字も多少かける子もいれば、まったくできない子もいます。
「ア」ってこう書くんですよと教えたとき。
ある生徒は、「そんなの知ってるよ。」
そして別な生徒は、「はっ?なんでひらがなとカタカナがあるの?」
ある意味、後者の生徒の方が本質をとらえているのかも(笑
とにかく、人によって経験が異なるのです。
この経験の異なる状態で同じ長さの針金を刺しても、受け取れる生徒と受け取れない生徒がいます。
じゃぁ、どうすればいいのか?
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この10年ぐらいですかね。
塾が個別指導を全面に押し出してきたのは。
塾は気が付いたのです。
塾生が希望する学校のテストをパスするのに最も効率のいい方法は、集合教育ではないってことに。
塾は、お金に直結しますかららね。
「有名高校、有名大学に○人合格しました!」
というのが、塾の評価尺度です。
そうすれば、塾生を増やすことができ、経営も安定化します。
学校は教えることが目的。
塾は、教えた結果を実際に使って成果を出すことが目的。
もし、ある塾で100人に教えて10人合格したとします。
ということは90人は落ちたのです。
成果は10%です。
10人に教えて、10人が有名大学に合格したとしましょう。
なんと、合格率100%。
その塾の学費が高くても、親としてはぜひ行かせたいでしょう。
ならば、10名に個別指導した方が効率がいいのではないか?
塾の評判は上がるのではないか?
10人ももちろん十人十色です。
1人1人の特性に合わせて、粘土の形に合わせて針金を刺す必要があります。
絶対に集合教育ではできません。
個人ごとの特性を細かく見ていないとできません。
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よく、ツールやらマニュアルにて、問題の解き方を教えるということが行われます。
これは教える内容を統一できる、同程度の品質を保てるという利点があります。
学ぶ側も、その問題を解くためのツールやらマニュアルを使えば、楽に問題を高いレベルで解くことができます。
とても便利です。
ただ、難点もあります。
なぜ、この問題が解けているのかがわからないということです。
車も移動のためのツールです。
皆さんも利用したことありますよね?
じゃぁ、なぜ移動できるのか、どういう仕組みで動いているのか。
車メーカーの人でもない限り、よくわかってないと思います。
最近の車は、電子機器ですから、なおさら複雑でしょう。
歩いて移動するというより、より高度なレベルで移動することができていますが、なぜそうなのかの仕組みまではわかりません。
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ツールやマニュアルは問題があります。
パターンが変わると問題が解けません。
丸という形なら解けるけど、四角になった瞬間に解けなくなります。
問題の形が変わったことに気がつけばマシです。
それに気が付かずに、マニュアル通りに実行すると、間違った結果を出します。
外国人が日本のファミリーレストランで、
「前回食べたとき、とてもおいしかったので、このデザートのトッピングを多めにして。料金は払うから。」
とオーダーしたとします。
チップの文化ですね。サービスが良いなら、お金を追加で払うというのが普通の人たちです。
この時、「できません」としか回答できないという話をよく聞きます。
アルバイトの人が、マニュアル通りにしかできないのです。
普通にオーダーを受けるという問題は、マニュアル通りにすればできます。
注文端末に教えられたとおりにポチポチと押せばいいので。
しかし、トッピング多めなんてボタンはありません。
これは、お客様のオーダーを効率よく厨房に伝えるという仕組み上、このシステムでは対応できません。
なぜこのシステムがあるのか、その目的は何か。
マニュアルだけでは、それがわからないのです。
お客様にスピーディーに料理を提供し、満足いただくこと。
その根幹の教育が抜けてしまってます。
それを理解してツールを使っているなら、トッピング追加のオーダーの問題にも、なんとかして応えられたでしょう。
満足いただくことが、評価尺度ですから。
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時には、複数の知識が必要なケースが出てきます。
例えば一時期流行ったデータサイエンティスト。
ビッグデータの分析をするスペシャリストですね。
あれは、データ分析能力(統計学)、プログラミング能力(実現力)、ビジネス能力(マーケティングスキル)など、複数の能力が一人に集まっている必要がありました。
例えば、データ分析能力と、プログラミング能力があるが、ビジネス能力が弱いとします。その人が解ける問題のレベルは、どうしてもビジネス力に引っ張られて低くなってしまいます。
そのビジネス力の部分だけを、教育やツール、マニュアル、セオリーなどで埋めれば、ある程度の高いレベルの問題が解けます。
比較的広い分野の問題も、全部教えるのではなく、その人に足りてないものだけを教えて、高レベルの問題を解かせるのです。
また、その解いたという経験は、粘土となり、次回も高レベルで同様の問題を解けるようになるでしょう。
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ただし、1回解いただけでは、粘土になりません。数回解くことで、しっかりとした粘土になります。
この問題を解くという経験、これが学びです。
そろそろ気が付きましたか?
実は、教えるということは目的ではないのです。
タイトルにもありますが、教えたつもりになっていること。
教えたか、教えてないか、丁寧に教えたか、簡単に教えたか。
関係ないのです。
それは評価尺度ではありません。
相手が理解したという状態。
これが目的、ゴールなのです。
そのためには、経験をさせる必要があるのです。
実際にやらせて見せることが必要なのです。
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しかし、その経験が問題となるケースもあります。
問題の側面を見て、「あ、これ解いたことある。」と思ってやってみたら、なんか上手くいかなかった。
「おっかしいなぁ、昔はこれで解けたのになぁ。」
よく見ると、円盤の真ん中に穴が開いていた。
いわゆる、経験による常識が問題解決を妨げることがあります。
「常識とは18歳までに獲得した偏見のコレクションである。」
アインシュタインの言葉です。
一度獲得した知識や経験は、その時は正しかったでしょう。
しかし、時代は変化するのです。
知識や経験は永遠ではなく、時代に応じて変わるのです。
あなたが教えていることも、現在において正しいかどうか。
意外と間違っているかもしれないということを、頭の片隅に置いておきましょう。
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教育した効果はどうやって測ればいいのでしょうか?
セミナーを実施した成果は?
同僚にやり方を教えたということの効果は?
それは、粘土の高さです。
決して針金の高さや本数ではありません。
何回教えたか、どれだけ高レベルなことを教えたか。
まったく関係ありません。
教育とは、投資なのです。
リターンがあって初めて、やってよかったということが証明されます。
10万円と投資して、10万円しか返ってこないなら、投資しただけ無駄です。
10万円返ってくるだけましですかね。
何も帰ってこないケース。
これは10万円投資しただけで、無駄だったということです。
10万円投資して、30万円返ってきた。
これで差額20万円もうかった。
これが教育効果尺度です。
セミナーや研修の効果の測り方のレベルは以下のようになります。
Lv1:参加者の満足度
Lv2:知識定着有無のテスト
Lv3:実際に相手が使用した
Lv4:使用したことによるリターン(お金・価値)
このLv4が望ましいのですが、かなり測るのが難しいのです。
小学生に英語教育やプログラミングの教育が始まっていますが、この成果っていつになったらわかりますかね?
20年後ぐらいですか?
そうなのです。教育効果はすぐに出てきません。
10年ぐらいの視点で評価しないといけないのです。
なので、Lv3をまず目指しましょう。
教えたことを、実際に相手が理解して使用したか、実行したか。
もし、実行していなければ、あなたの教えた時間は無駄だったということです。
あなた自身の教え方を見直すべきです。
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知識と経験の違いについて触れておきましょう。
知識は針金です。
経験は粘土です。
「門前の小僧習わぬ経を読む」と言いました。
これは、その情報を何回も聞いたという経験なのです。
知識そのものは針金なのですが、何度も聞いたという経験が粘土になっています。
これを偏見と言います。
なにせ、聞いただけで、知識そのものを経験してないのですから。
例えば、地球は丸い。
嘘です。地球は楕円形です。
しかも山や海溝があり、かなり凸凹しています。
宇宙に空気はない。
嘘です。真空に近いだけで、酸素はあります。
酸素密度がかなり低いというのが答えです。
本能寺の変で織田信長は死んだ。
あなたはそれを確認しましたか?
聞いただけですよね?
経験してませんよね?
どうですか?
全部偏見です。
信仰と同じです。
1+1=2だって、数学信仰です。
世の中に全く同じものが2つあるなんてことはありません。
違うものどうしを足せるわけない。
じゃぁ、なぜリンゴを2個なんて言えるのか。
似ているもの、細かい違いには目をつぶるという大前提の上に成り立っています。
これらをなぜ信じているのか。
肩書がある人や、信用できると信じている人が、そういったから。
その人が、詐欺罪で捕まったとしても、信じ続ける人もいます。
なぜでしょうか?
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知っているということを変えること。
信仰を変えること。
これが最も難しいと思っています。
天動説と地動説。
いまだに天動説を信じている人がいます。
恐竜の存在。
いまだにアダムとイブが人間の祖であると信じている人がいます。
これは、いくら事実を見せても信用してくれません。
お前が言っているのは嘘だと言われます。
なぜそうなるのか。
自身の知識が嘘と認めると、自己否定につながるからです。
自身の存在否定です。
人間は、なぜか自己否定がかなり苦手です。
特に苦手な人はプライドが高い人なんて言われたりします。
想像ですが、DNAが自己否定を認めないのだと思います。
自己の存在否定をした生物は、進化の過程で消滅したのでしょう。
自分が必要ないと思っている生き物が、繁栄できるとは考えられませんから。
ちなみに、オレオレ詐欺は、この自己否定できないというのを上手く利用しています。
まず、電話口に出たのが孫の声だと思う。
これは、過去の経験上、それは孫だったからです。
これが孫ではないと否定するには、過去の自分の経験を否定しなければいけません。実は、過去の電話の人物も孫じゃなかったのではないかと…
だから、銀行で銀行員や警察官が説明しても、詐欺ではない、おれは騙されていないと否定するのです。
納得できないのです。絶対あれは孫の声だったと。
警察の言葉を聞く、納得するということは、自己否定ですから。
これは、その分野の経験を多数してきた年配の方に多いです。
自己否定ができません。
年を重ねた分、経験数が多いのですから、当然ですね。
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★まとめ
では、最後にこれまでの話の「まとめ」をしていきたいと思います。
人に何かを教えたり、伝えたりする際には、相手の観察が最重要です。
・どの程度の知識(粘土)を持っているのか。
・その知識をどこまで引き上げたいのか。
・今回はどの程度の知識(どの程度の針金)を何回刺せばいいか。
この3つの認識したうえで、相手に情報を伝えましょう。
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教育の3要素で、以下の3つが大事だと言いました。
・知識
・行動
・心
実は、心。これが最重要です。
教える側と、教わる側。
この2人に信頼関係がないと、何を話しても無駄です。
例えば、民法TVのバラエティー番組で、「スクープ!アメリカ大統領が宇宙人と密約!?」という番組をしていたとします。
信じませんよね?
では、NHKが緊急速報で「アメリカ政府の公式発表、○○星雲の宇宙人と初会談実施」とかだったら、どうですか?
受け止め方はかなり変わると思います。
日ごろ嘘ばかりをついている人から、教わりたいとは思いませんよね?
何を教えるか、何を伝えたいかの前に、相手との信頼関係を作るのが先です。
それには、いくつか方法があるのですが、ここでは1つだけお伝えします。
教える前に、まず相手の話を聞くこと。
人間は、「話を聞いてくれる人」の話を聞く傾向があります。
こういった心理学的なテクニックを使って、信頼を築きましょう。
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そもそも、あいてはその情報に価値を感じているのか。
国語、数学、理科、社会、英語、いったい何の役に立つの?
装置の動かし方、ゴミの捨て方、スマホの操作の仕方、どうでもいいや。
あなたは、相手のためを思って言っているのかもしれませんが、相手にとっては「うるさいなぁ、わかってるよ。」となっているかもしれません。
先生や親からこう言われたことはありませんか?
もしくは、子供に言ってませんか?
「勉強しないと、ろくな大人にならないぞ。」
「夏休みの宿題は計画的に行わないと後で大変だぞ。」
相手が、その情報を真摯に受け止めるのは難しいでしょう。
なぜか。
経験してないので、その内容にリアル性が無く、実感がわかない。
言われたので、やらされ感が先に出る。
人間は他人に決められたことをやりたがりません。
その情報を理解して実行することに価値がある。
そう相手に思わせることが重要です!
それには、相手が自分自身で決めたというように錯覚させるようなテクニックが必要です。
テクニックの1つは、上手に質問することです。
一言でいうと誘導尋問です。
5W1Hの観点で、相手に考えさせながら、誘導するのです。
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今回は長くなったのでこのあたりで切り上げます。
もし、こういう記事に需要がありそう(スキの数で評価?)なら、そう思わせるテクニックなども伝えていければな~と思います!
では~ (^^)ノ
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