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2022年の日本の運勢②(番外編)

皇室の話題は関心が高く、眞子さんのことは取り敢えず第一幕が終了したと言う感じで、幕間(?)の昨今は佳子さまの結婚や悠仁さまの進学・健康状態がどうなるかが話題になっていましたが、今年になって米国や英国の法曹界では、小室圭氏のフォーダム大学経歴詐称・不正入学問題が関心を呼んでいるそうです。

つまり、場合によっては外交問題になりかねない様相を帯びて来ているという事です。

眞子さんと小室圭さんの結婚は、法的争いや裁判沙汰に巻き込まれ易い運気の時であった事をホロスコープのトランジット法で、眞子さんのその他のことも含めてサビアン・エニアグラムを使って以前観ているの(https://note.com/macrobiworld/n/nf9104e907006)ですが、そういう意味でもフォーダム大学の件に関しては今後の動きが注目されます。


また比較の為に、今回も前半部分はサビアン占星術も一緒に使用して、その他のお子様方や敬宮さまについて、 2022年ということにこだわらず、今後の行方と言うことで観ていきたいと思いますが、その前に私見を少し。


最近、「皇族のことに関してとやかく言うべきではない」と言う意見が保守派の人からちょくちょく出されていましたが、私は少し違う見方をしています。

昨年のお誕生日会見の発言から、秋篠宮皇嗣殿下等の皇族の方々がネットの記事や書き込みをご覧になっていることが分かっています。

占い師として人の相談に乗って来た経験から言えば、周りや世間がとやかく言うべきでは無いと敢えて何も言わずに接するから、当の皇族側からすると「頼りに出来る人や、情報が得られ無い」と感じる部分があるのでは無いでしょうか?

身近に居る人たちは「忖度ばかりでどこまで信用していいか分からない」と感じて居るからこそ、ご自分が納得出来る答え(もしくは情報)を求めて、敢えて批判が多いと分かっていながら、エゴサーチのようなことをなさるのでは。


国民の間では、そうなってしまったのは自業自得だと言う向きが多いかも知れませんが、眞子さんのことを、結婚前に世間は「お嬢様育ちだから騙されて洗脳されて居るんだ」って、皆、散々言っていたでは無いですか。

なのになぜ同じような育ち方をしているはずの親御さんのことは、「何者かに騙されて洗脳されてるのかも?」とは思わないのでしょうか。

確かにネットで発信されて居る意見には、眉を顰めるようなものも多いです。でもだからと言って、安易に言論統制に繋がりかねないような主張をするのもいかがなものか。

「おぼっちゃま・お嬢様育ちだから騙され易いんだ。洗脳されて居るんだ」
「悪いのは〇〇なんだ」

と言いながら、

同じ口で「皇族のことは皇族に任せればいいから、皇族のことはとやかく言うな」と言うのは一見正論を述べている様で、解決に必要な情報は渡さない(諫言できる立場の人は限られていると言うが、その立場にいる人はお諌めしているとは思えない。が、彼らはそれを批判することもしていない)くせに、正確な情報が伝わっていないと思われる当事者に解決策を丸投げしているのに等しい。

それは例えて言うならば、「お箸もカトラリーも渡されてないのに、手を汚さずに目の前のご馳走を食べてください。皇族の方々は周りがとやかく言わなくても、それが出来るのです。」と言っている様なものです。

そしてそのような無体なやり方は、儒教の影響が強いどこぞの共産主義国家の独裁主義思想を間接的に肯定し、認めることになりませんか?


日本は民主主義国家です。

天皇は国民統合の象徴で、国民の総意の上に在り、皇族はその天皇をお支えする存在です。

皇族は守られて生まれ育つが故に「騙されやすいから“特定の勢力”に洗脳されて居る」のかもしれないのに、

その皇族の周りには誰も諫言や直言する人がいない状態で、その皇族方にとっては、ネット世論は忖度の無い意見を知る唯一の場になっていたのかもしれません。

仮にそのような状況があった場合、皇族に関してとやかく言うなと言うのは、繰り返しになりますが批判される対象となっている宮家の人々に対して「気づく為・判断する為、ひいては解決する為の情報を与えるな」と言っているようなもので、矛盾していませんか…?

事実、昨年の皇嗣殿下のお誕生日会見では「参考になるものもあったが」と、ひと言添えていらっしゃいます。

保守派の皇室に対してとやかく言うな派の人たちは、同時に「皇室は戦後ずっと共産主義者の解体工作に晒されているんだ」とも言っていますが、であれば、今、批判の対象となっている宮家の周りにいる人たちは、(解体工作から守るという意味で)信頼できる人たちなんでしょうか?

もし信頼出来る人たちに囲まれているのなら、私は今の様な問題は起きていない(現状のようにバッシングが続くような事態にもなってはいないはず)と思うのですが…。


すなわち「とやかく言うな派」は、「とやかく言うべき派」が時として皇室批判を繰り広げるが故に、それを共産主義者による工作と言って

・皇室/皇統を護る▶︎(外から攻撃してくる)外敵から護る
の視点でしか、問題点を見て言っていないのに対し、

現在の「とやかく言うべき派」は、勿論中には工作員も混じっては入るだろうけれど、その大半は
・皇室/皇統を護る▶︎既に皇室内部及び周辺に存在し、影響力を発揮している内敵から護る(もしくはその状況を変える)
の視点で、論を展開する状況に変化してきている。

と言う違いがあるわけです。


つまり「とやかく言うべき派」の主張の中身が変化してきているのに、

「とやかく言うな派」はその変化に気付かず、相変わらず表面的なことしか見ずに表面的な物事の言及に終始していると言う印象があります。


トップは常に孤高です。

誰も頼れず、周囲が考えるより、ずっとストレスフルな状態に置かれていることも珍しくありません。

世間ズレしていないなら、なおさらそう言った心のスキを、(普通の人以上に)詐欺師なり工作員なりに突かれやすいリスクもあるでしょう。


詐欺師と工作員の洗脳の手口は、もしかしたら似ているのかもしれないと思うことがあります。

真実がバレないように、その人が信頼を置いている周囲の人間をその人から遠ざけるように仕向けるのは、詐欺師の常套手段ですよね?

ネット情報は玉石混交とは言え、真実に気付く為の最後の砦かも知れないのに、一部の保守派の人が言うように、国民がネットで皇族に対する意見の発信を抑え、止めるようなことをしてしまったら、かえってその皇族を(解決方法を考える為の情報集めの手段を奪ってしまい)精神的にも物質的にも追い詰めてしまうことになりませんか?

私はその点を危惧しています。

大切なことなので繰り返します。

例え相手にとって耳の痛い話であっても、本気で心配して諫言する人が周囲や日本政府にいないからこそ、国民がとやかくいう状況になっているのではないでしょうか?


皇嗣家にとっては、ネット世論は傷つくことは多いかも知れないけれど、忖度も忌憚もない意見を知る唯一と言っても良い場所になっていた筈です。

それを統制・制限してしまったら、皇嗣家が知りたいと思っている情報は手に入らず、宮家は邪な考えで接近してくる人々の思うがままにされてしまうかも知れない。

にも関わらず、皇嗣家にそう言う(言論統制に繋がりかねない)発言をさせている「誰か」がいる。


そもそも民主主義国家で言論統制なんてあり得ないですよ。それこそ国を転覆させるような行為です。

「皇室のことをとやかく言うな」と、気付きや解決に必要な情報は「誹謗中傷」と言って十把一絡げにして遮断する様なことを言っておきながら、皇室のことは皇族が解決とか、出来ないこと(私に言わせれば“無茶振り”)を皇族方に強要している。

それって、本当に皇室や皇族の方々の事を想っての発言なんでしょうか?

私には無責任な発言に思えます。


ネット世論は抑え込もうとするとかえって炎上します。沸騰するヤカンの蓋を押さえるような危険行為です。

「建速須佐之男命に観る日本と東アジアの関係②」の中でも触れていますが、
そもそも論で言えば、今のような状況になる前に、(宮内庁内で宮家に諫言出来る人がいないのであれば、)日本政府の相応の人物が宮家に事情を聞き、必要と判断したならお諌めするべきだったと思います。

それをしないままズルズルと来てしまったからここまで(国民がとやかく言う状態に)なってしまっているわけで、このままこの状況をいつまでも放置するなら、それは政府の怠慢です。

それとも、日本政府自体が一連のことに関して何かやましいことがあるから、口を挟めないのでしょうか?

もしそうだったとしたら「とやかく言うな」と言ってる人たちは、どうやって事態を
(マインドコントロールされてるかも知れない、現在“批判の対象となっている宮家の人たち”を救う為に)
解決すれば良いと考えているのでしょうか。

とやかく言うなと言う人に限って、そこをきちんと押さえた発言をしているのを見たことがありません。


最近は、ネットユーザーの間ではネット工作員の存在も知れ渡ってきていますから、問題のある発信者からは、ある程度時間が経てばそのことに気付いて人は離れて行きますよ。

そういう意味でもネット世論には時薬ときぐすりが有効なようです。

悪意を持った工作員の影響さえどうにかできれば、時間と共に自浄作用が働くのがネット言論の世界です。

するべきことがなされているのであれば、例え炎上したとしても、

様々な意見が噴出し、ガヤガヤと騒いでいるうちに、なんとなく意見が淘汰され集約されて来て、最後はまとめ役(ネットなら、その問題に対して最も影響力のあるインフルエンサー)のツルの一言で決まる。日本はもともとそういう国だったと言われていますね。

そういう意味ではネット世論の動向と言うのは、すごく日本的な経過を辿る世界だとも言えるでしょう。

そう考えれば、時を経れば、世論も落ち着くべきところに落ち着くでしょう。


要するに、やるべきことをやるべき人がやっていない状況で、国民の主張を抑え込み、言論統制に繋がりかねない主張を権威権力側が安易にすること(もしくはその様な根回しをすること)は、民主主義国家なら控えるべきだと思うのです。

日本政府も皇嗣家VS国民になってしまっている今のこの状況を、いつまでも放置するべきではありません。

皆さんも、そう思いませんか。

何方も好き好んでこの様な状況になっているわけではないのですから。


皇嗣家は国民からの批判の大合唱に傷付いたかも知れませんが、国民の方も皇嗣家の方々の致し方に裏切られた…と失望し傷付いているのですよ。

とやかく言うなと言う人たちは、こう言うことには触れませんね。

「皇室のことはとやかく言うな」と言うなら、「それを国民に向かって言う前に、日本政府に対して、当事者である宮家に事情をお聞きして、助言や諫言ぐらいするように言うべき」ではありませんか。

或いはそうやって事態を収めようとしない政府のことを、批判するべきではありませんか?


とやかく言うなと言う言論人に限って、当事者である宮家や皇族に対して助言や諫言などの対応をして、「国民の不満や疑問を解決しようとしない政府」を批判しているところを見たことがありません。

これでは「とやかく言うべき派」の国民が「とやかく言うな派」に反発するのは当然でしょう。

そもそも政府自体が既に工作活動の餌食になっていて、そう言うことが出来ないのであれば
(或いは「とやかく言うな派」が、「売国政府にそんなことを言っても意味が無いと思っているから政府批判しない」のなら)
皇室のことをとやかく言う国民のことは、もはや責められないのでは…。

そう言う状態であるなら、私はむしろ、国や皇室を護る為に彼ら「とやかく言うべき派」が現状に対して批判の声をあげるのは、当然だと思います。

彼らにしてみたら、「とやかく言うな派」は「臭いものにはフタをしろ」の論理で、問題を直視せず何もせず、ただフリーズしているだけに見えているわけです。

批判と言うのはAがBに期待していることを、Bに裏切られた時にAがする反応です。

「とやかく言うな派」の中でも、政治的なことに関心がある人たちは普段からそう言うことをしているのですから、批判している人たちの気持ちも分かるのではありませんか?

「とやかく言うな派」が「とやかく言うべき派」のそう言う心情を汲んで
(神風が吹くのをただ待っている様な、お花畑思考に陥った状態のまま表面的な言動だけを見て「とやかく言うべき派」を批判するのでは無く)
「現実的な解決策を提示」して、歩み寄る努力をしなければ、それこそ解体工作を仕掛けている共産主義勢力の思う壺なのではないでしょうか。


昨今は「とやかく言うな派」の中にも工作員が混じってきているような気がするのです。ことさらに表面的なスローガンだけを言い、皇室を護りたい人たちが分裂している状態を固定化させようとしているのでは無いか?と思える節があるのです。

でもどちらも皇室を護りたいと言う思いは一緒なのですから、そんな工作に騙されず、双方歩み寄って欲しいですね。


前置きが長くなってしまい、申し訳ないです。以上はこれまでの事態の推移を見ての、あくまでも私の個人的な感想です。

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