
コミュニティについて2
コミュニティの事をよくわかってなかったのかもしれない。ソーシャルキャピタルってなんぞや、キャピタル東洋亭ならわかるぞ、なんて考えながら勉強していた。京都市の北の方にあるレストランの名前とは違うみたい。
キャピタル単体で調べてみたけど意味が多すぎて全然わからん。だから勉強って嫌いなのよね。調べていて2,3回壁にぶつかったらもう無理ってなる。好きな事なら別なんだけども、わたしゃ別に専門家じゃないので詳しい事は知ったかぶりしてスルーしてきた。でもそろそろ年貢の納め時みたい。いつもそんな感じです。後回しにして追い込まれてヴぁー!って叫んでるのが気持ちいいまである。コミュニティってなんなの。
例えばきのポのファン名称は未だにポトモダチだったり爛漫会だったりあやふやでも、当たり前のようにファンという存在は成り立っている。目的はハッキリしているのでやることは同じなんだけど、自分がどうありたいか、どのようになりたいのかの違いなのか。
仲間感が好きな人もいればそうでない人もいて、まさに令和の多様性という感じがする。だからリーダーもいなければ主将や部長もない。部長さんはいらっしゃるかもしれないけど…ややこしくなるので割愛。
まぁとにかく色々あっての現状があるので今はこの感じを楽しみたい。僕は3年間一貫して思うのが、打ち上げ飲み会が楽しくて仕方ないという事。
楽しかったライブの感想戦を、仲がいい人らと飲みながら出来て、しかもその飲み屋が主催者が経営する店って最高過ぎる。今までそんな飲み会した事がなかったので感動すら覚える。
大学に行かなかった理由がいくつかあるけど、上手くやれる自信がなかったというのが一番大きい。高校で人間関係も勉強も終了していて、周りに気を遣う事に疲れていた時期で、進級も卒業も危うかった。しかしアルバイトをしていた経験もあり、金を稼ぐ事は単純に楽しかったため、就職という事に対して目的がハッキリとしていた。
学生は勉強が本分とはいえ、真面目に勉強だけなんて無理だし、部活動もほどほどに、趣味が合う友達とどこまでも堕落していくのが目に見えていた。
学校のクラス単位ではインドのカースト制度になぞらえて、同い年でも上下関係のようなものが存在するというお話がある。持って生まれた美形な男女ならわかるけど、見た目がそうでもないのに上の方に居る人を見た時、個人的には「そんなものは存在していない」のだと思った。
未成年者が属する学校では保護者の影響が大きい。僕は近所の公立に通っていたので大金持ちの知り合いは居なかったけど、のちに意外と近くに大富豪が居たと知り、僕は運が良かっただけなんだなぁ…と思った。運だけで生きてる人のただの日記です悪しからず。
勉強不足と経験不足だったけど、今思えば人間関係には恵まれていたように思う。
基本的に受け身である事が多い。自分から話しかけて仲良くなっていきたいと昨年の抱負で語っていたけど及第点あるかどうか。なんせ相手がある事なので難しい。
というか周りの色んな人の動きを観察しているだけで楽しいので自分が動く必要ないまである。人間観察おじさん。
あと新規の友達Aさんに既存の友達B~Zさんを紹介しまくる遊びが楽しい。マッチングおじさん。二人のニューロンが触れあってシナプスだだ漏れになってるのを眺めてると脳汁垂れ流し状態でハイボールが美味いんだわ。普通にやべーやつ。
でも新しい出会いって可能性しかなくて、何かが生まれるようなそんな期待感が面白い。何十、何百という組み合わせ次第で生まれてくる新しい何かが。そういうことでしょ?ソーシャルキャピタルって!やっぱ違うかな~…むずい。