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温泉について

定期的にサウナ。サウナの真髄はわからんけども、それなりに楽しんでおる。近所に深夜までやってる良い銭湯があるので、なんと490円でサウナに入れる。しかも露天風呂つき。
今日は久々にめちゃくちゃ空いてて、客二人ぐらいしかいなくて、もし初めて来てたら「この店大丈夫か?」と心配になるぐらい誰もいなくてのびのび堪能出来た。

若い頃に家があれで一時期風呂が無い家で過ごしていたため、毎日銭湯通いをしていて、それはもう面倒臭いのと楽しいのの狭間でせめぎあい、時間に追われつつもしぶとく生きていた。
最近はサウナブームというか、トトノウみたいな風潮があり、よくわからんけど存亡の危機に貧していた銭湯にみんなが行ってくれて嬉しい限り。
まぁ久々に空いてる露天風呂、と言っても一坪ぐらいの空を眺めながら思い出すのはコロナ前に業界の慰安旅行で行っていた温泉。それはもう不快に近い、義務づけられた家畜の所行と言っても過言ではないかもしれない程に苦痛であった。
それなのに失って初めて気づく有り難さ、的な、悔しいけど実は楽しかったのかな、などと気づき、長いため息が出た。

そもそも旅行=温泉みたいな感じで、幼少の頃から風呂があまり好きではない自分にとっては苦痛でしかなかった。前世は欧米か南米人だったのかも。

人間の三大欲求+ゲームだけあれば良いみたいな欲望にまみれし者だったので、ワビサビとかほっこりとかそういう繊細な感覚とは無縁であった。一生反抗期だったのかもしれない。現に、父親という呪縛から解かれてからは逆に求めるようになっており、無い物ねだりが過ぎるなと思う次第。失って初めて気づく的な。でも失う前には気づけないんだから仕方がない。それを浅はかと呼ぶ、いや、違う、ピタゴラスイッチだ。条件が整ってないんだから発動しようがない。トトノウってそういう事でしょ?違うか。
種明かししてないんだからわかりようがない。内心薄々察していたけど、確認しようがなかった、それが人の心というものだろう。気づかれたい、知られたくない、源氏物語とかでもそういうのありそう。知らんけど。知ってしまえば大したことではないのに、わからないから色々と勝手に考え込み過ぎてよくない方向へいってしまう。一言で吐き捨てるならば、馬鹿、アホ、ろくでなし。

結局、また寒くなってきたから旅愁というか、暖かさを求めてそういう記憶が蘇ってきたということだろうか、面倒臭いやつだ。そんな自分も好きだ。

先週末、ミグマシェルターのレイブを見に名古屋まで行ってきた。福島で初めて見てめちゃくちゃハマって、京都で見て最高に楽しかったので、密かに行こうと思っていた。名古屋近いし。感想としては、後ろの方で割りと見にくかったしスマホの充電も少なくて不安だったし心配事も多かったけど、楽しかったレベルは10段階で6ぐらいでした。(京都を10とした場合)
欲しがり過ぎでしょうか?贅沢かもしれない。でもなんか、大満足とは言えなかった。楽しいは楽しかった。でも只でさえきのホ。が謹慎中なのにこっそり来てる罪悪感が、スパイスとなって良い方向に作用しなかった。罪悪感強め。後悔とか反省は全くしてないけども、自分だけこんなに楽しんでしまって良いんだろうか…よくないよな、というのが根底にあり、それじゃ逆にミシェルさんに失礼だろとも思いつつ。
とりあえずミミミユさんとチェキをとっておこうと思った。らねちゃんの代行も少し考えたけど、福島での失敗を学んだので私利私欲に徹した。結果、塩対応されていたトラウマを克服出来るほど笑顔で可愛かったです。笑顔になってくれない人だと思ってました。良かった…また行きたい。bang onとegg headとtokyo squareが好きです。

旅行と遠征は180度違う行為なので、旅行という純粋に旅先を楽しむ行為も思い出していきたい所存。遠征は遠征で戦士感あって好きです。旅行なぞ生ぬるい!とは思わんけど。

来月はいよいよ沖縄本番。うまく立ち回れるか不安…このひりつく感じがたまらんのだよ…。

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