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あらわれるこころ(ft.『Wash』)【Sandwiches #67】

 すずやかな朝であります。自粛期間があけてのちひさしぶりに午前中からこちらの「Sandwiches」を書いておりまして、なぜかって今日ご紹介する楽曲はなんだか、まだ街が起き出す前の「りん」と鳴る静けさのうちに語っておきたい種のものやったからなのです……「楽曲紹介」シリーズ、今日は3rdアルバム『Circles』から、M2「Wash」についてお話しさせてください。

 まずは映像について触れておきたいと思います。監督は河澄大吉くん。『Circles』から本格的に映像ディレクターとして関わってくれることになったひとりで、同作ではこの「Wash」のほか「Standard」のビデオも制作してもらいました(それ以前には、実は「Sparkle」「Eyepatch」といったビデオにもスタッフとして参加してくれています)。

 あるときイベントでご一緒した縁から仲良くさせてもらっていて、や、彼はもともとバリスタとして活躍していたのだが、気づけばフォトグラファー、そしてビデオグラファーとしてもさまざまな場で名を聞く存在となっていた。穏やかさと鋭さの同居したその眼差しと、たしかな信念をたたえたことばづかいを、わたしはこころから信頼しています。

 maco maretsはありがたいことに数多くのミュージック・ビデオを制作・公開することができていますが、最初に自分のなかの簡単なイメージのみをお伝えして、あとはディレクターにある程度「お任せ」するスタイルで作業を進めていただくことが大半でした。わたし自身のうちにある情景ばかりをビジュアライズしてもつまらぬし、曲の含有するイメージをより豊かにあらわす手段として、他者の手に委ねる過程が有効だと考えているからです。

 だからこの「Wash」の場合も、大吉くんにまるっとぽい(粗雑な表現でごめんなさい)してしまうこともできたはずだけれど……普段と違ってそうしなかった、わたしがやいやい提案した部分があって、たとえばそのひとつがキャスティングでした。

 今回のビデオで主演をつとめてくれたのは、インディペンデント・マガジン『HIGH(er) magazine』の編集長としても知られているharu.ちゃんです。や、ここで明かせば「Wash」を映像化すると決めたときから、主人公はharu.ちゃんのほかにいない! とその希望はゆるがぬアイデアとしてわたしの脳裏に存在していて、その理由は映像にて、彼女の凛としたエナジーにあふれる佇まいをみていただければ瞭然ではないやろか。

 この楽曲には「完璧」をもとめるこころと、同時に抱く「完璧にはなれない」という諦念的ムードのただよう側面があり、その矛盾、葛藤をある種体現している存在がわたしからみたharu.ちゃんでありました。なんとも、ここですべて言語化するのも野暮なような、とにかく直感めいたものがそう告げておったのよ! 

 彼女とは以前からの知り合いで、過去には「HIGH(er) magazine × maco marets」のコラボレーションアイテムなど制作させてもらっていたが、このときのわたしは何千字かのラブレター的怪文書を突如送りつける暴挙に出た(これこれこんな理由で出演してほしいのだ、あなたしかいないのだ、くどくどくどくど、くどくどくど!)。二つ返事でOKをくれたのは、や、まっことありがたくうれしいことでした。

 撮影は都内から車で数時間かけて赴いたとある山奥にて行われ、その長い一日について語り明かそうと思うと文字数がとても足りません。詳細はいつかの機会に取っておくとして、ただひとつ付記しておきたいのは、大吉君、haru.ちゃんをふくむすばらしいチームにめぐまれたおかげで、わたしにとって「Wash」はかけがえのない思い出とともに刻まれる作品になったということです。

 撮影の様子をおさめたメイキング・ビデオも公開されているので、ぜひ観てみてくださいね。

 楽曲自体、個人的にはとてもとても気に入っています。まさにこのテンションこそ自分にとっての平熱とでもいいましょうか、なかなかさじ加減がむずかしいところが素直にあらわれてくれた、そんな感がある。

 サビのコーワスワークも2ndアルバムの「Sparkle」などで試していたやり方をアップデートできたような、やあ、それはアズマさんのすばらしいエンジニアリングによるものであることは明らかやけども、個人的にとても心地よく響く場所に落ち着きました。

 後半にこんな歌詞があります。

たとえば 胸で騒ぐ欲をいくらばかりか
捨てることかできればなんて きっと無理な話だな
完璧な真っ白はどこまでも遠いアイデア
本当は望んでない?
(中略)
後悔はないといえば嘘になる
二度ともどらない春を思いだして泣く

 この曲を書いたのはもう一年ほどまえ。それでも、もやつく「自粛」のうちに過ぎ去った春、二度と戻らぬその春に思いをはせると、やはりかきゅっと胸の締め付けられるような気分になるおのれがいます。

 ただただ尽きぬ怠惰なこころ、こうるさい欲と後悔を抱いたまま……同時に決して手放し得ぬ「完璧な」日々への憧憬をよすがに顔を上げて! 歩みはとめずにゆくのだよ、しんどいけれどもゆくのだよ、なんてうそぶきたくなる朝でした(あっ、そうだ。おとついご紹介した「4AM」という曲名は「Wash」の歌詞からきたのですよ! 豆まめ情報)。

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 本日はお便りコーナ、おやすみです。明日お返事いたしますね。

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