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傾きかけた家族経営の文具店を、従業員100名規模の企業に成長させた話【4話】

こんにちは、MACオフィス note編集部 のこんやです。

実は町の小さな文具店から歴史が始まったMACオフィス📖✏️
家族経営の文具店が、なぜ従業員100名規模の "オフィスをつくる会社" になったのか…?代表の池野に聞いたところ、面白いドラマがあったので少しづつ物語調にしてお話していきたいと思います。

▼ 第1話はこちら

【前回の振り返り】
営業として成績を上げやりがいを感じていたさなか、母からの電話。新卒で入社した会社を退職し、実家に戻った池野を待ち受ける試練とは?

第4話、ぜひご覧ください!



実家の文具店を立て直すために私がまずしたことは、現在の財務状況を調べることだった。私は税理士と相談を重ね、帳簿の整理に努めた。その結果、発覚したのが8,000万円の借入金だった。

この8,000万円という金額を知ったとき、私は空をつかむような感覚だった。会社規模でみるとこの額が大きいのか小さいのかも分からない。経営ってそういうものなのか?とも思った。だが、今この瞬間にも文具店からぽたぽたと血が滴り落ちているのは事実だ。まずはこの出血を止めるのが先決だった。

最初に打った対策は、家族の人件費の削減だ。当時の父と母、姉の給与は業績に見合っているとは思えなかった。だが、これは決して私の家族が強欲だったのではなく、景気の良い時代を生きてきた両親にとってそれが基準値であり「今までそうしてきたから」という理由で、継続してきた慣習にすぎない。両親はどちらかというと堅実だったと思う。事実、バブル時期にも不動産や証券などの儲け話に一切乗ることはなかった。

私はまず、配達員の「おじちゃん」以外、要は家族の給与を半額に設定した。半額といっても、両親の年収を合わせれば一般的なビジネスパーソン家庭の年収分に相応する額だ。姉に関しても事務職の世間相場を下回る額ではない。そのうえで私の給与は月10万円に抑えた。これは後に3年続くこととなる。さらに、会社員時代の貯蓄900万円を借入金の返済にあてた。家業が傾きかけている今、私が身銭を切ることも、率先して薄給で働くことも当然のことに思えた。

このことを人に話すと、何をモチベーションにそこまで頑張れたのかと聞かれることもある。1966年に開店した丸池文具店は、長年地元の方達に支えられてきた老舗文具店だった。店が繁盛している様子も、小さいながらも自社ビルを持ち移転した過程も、その全てを町の人は把握している。文具店が衰退していくのは、家族の没落を意味した。私はそんな姿を見たくなかった。その一心だった。

いま振り返ってみても家族の給与の見直しは妥当な手立てだったと思う。だが、店に帰って早々に自身の給与を大幅に減額された家族は、私に不信感を募らせた。それが私たち家族に大きな溝を生んでしまった。


第4話はいかがでしたか?
何やら不穏な空気が漂っています。
第5話はどのような展開が待っているのでしょうか?次回もお楽しみに!

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