母と蜘蛛と能古島
数年間家で介護していた母が亡くなって起きたちょっと不思議な出来事。
自宅で介護していた母が心不全を起こし救急車で運ばれて、3ヵ月ほど病院で過ごした後、施設に入り2ヵ月と少しで亡くなった。
3年前の話し。
長年過ごした福岡を離れ、私の住む神奈川にやって来た当初は都会に住めて楽しそうだった。私の仕事や孫娘の成長を見ながらアクティブに過ごしたのは3〜4年だっただろうか。
元々いくつも病気を抱えていてだんだんと身体の自由が効かなくなり、親戚や長年一緒に働いていた同僚の方たちとも会えず、次第に認知症うつ病を発症した。
介護保険をフル活用して、週6でヘルパーさん2週間に1度の往診、週1で看護師さんと理学療法士さん、その他にマッサージなどなど
どんなに人に面倒をみてもらっても結局は私が側に居なくてはいけなくて
仕事中や夜中に何度も何度も携帯を鳴らして私を呼び戻した。
私も母もギリギリの日々だった。
そんな中大きな仕事をなんとかクリアして、ほとんど毎日病院や施設に会いに行っていたのに、その日だけは行けなかった。
明け方4時に施設から電話があり母が息を引き取ったと知らされた。
2時の見回りの際は声掛けに反応していたと…
多分眠ったまま静かに逝ったのだと思う。
常識があるようで無くて、自由に生きてきた母のことをいつの頃からか嫌いだった。
姉も私も若い頃に母の人生に振り回された。
私が最期まで面倒を見ると決めて引き取ってから
表面上は優しくしていたけど多分心のどこかで母の生き方を否定していた。
ごめんなさい。
私たち家族と姉とその子供達と、火葬場で母を見送って自宅に戻ったその夜、母の部屋に見たことも無い大きな蜘蛛が出た。足も含めて20センチ以上はあったと思う。
夫がなんとか家の外に追い出してくれた。
それからしばらくの間、度々家の電話が鳴るようになった。昼間だったり夜中だったり、非通知でいつもワンコールで切れた。
私たち家族は怖がる訳でもなく「あ、ばあちゃんだ!」と言ってやり過ごした。
母は何度も何度も何度も何度も私に電話をかけてきたから。
母が亡くなって2〜3ヵ月後、今度は私の仕事場に大きな蜘蛛が出た。自宅に出たのと同じ種類の同じような大きさ。
周りに子供達が居て大騒ぎとなり夫がスリッパで叩きやっつけた。
今まで生きてきた中であんな蜘蛛見たことない。
火葬した日の夕方、私の仕事場に1本の電話があり留守だった私の代わりに娘が対応した。
私の高校時代の友人であり母の絵画教室の先生だったKちゃんから。私とは25年以上会ってなくて連絡先も知らないはずなのに、わざわざネットで検索して私の仕事場に電話をくれたらしい。
私の母は元気かと…
娘が祖母は亡くなって今日火葬しましたと伝えると「あぁ、やっぱり…」と言ったそうな。
そうだった、彼女は昔からスピリチュアルな子だったんだ。
母の遺骨は生前本人が希望していた通り海洋散骨した。
しばらく自宅に置いて供養した後、散骨してくれる業者さんに遺骨を送り(ゆうパックで!)連絡を待った。
私は船には同乗せずお任せするパックだったので、大丈夫かなぁ本当にちゃんとやってくれるのかなぁ…と少し心配して待っていたら2〜3ヵ月後に留守電が入った。
「お待たせいたしました、◯◯様の散骨を8月30日にご指定の博多湾にて行います」と。
8月30日は私の誕生日。
母は私を産んだ日に海に帰った。
後日業者さんから送られて来た散骨証明書には、散骨した正確な位置(東経と北緯)が記してあり、写真が添えられていた。
その海の写真には母が仕事を始めて最初に赴任した能古島が写っていた。
お母さんありがとう。
さようなら。
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