岐阜にあるソーラーアーク
2023年3月、岐阜県安八郡安八町にある三洋電機ソーラーアークの前までいってきました。
ソーラーアークについては、wikipediaの記事を読んでいただいたほうが手っ取り早いので、ここでは割愛しますが、なぜ、ソーラーアークに行ってきたかというと、この三洋電機岐阜事業所が私の技術者人生としての原点だからです。
研究開発本部ハイパーメディア研究所ネットワーク研究室が私の職場でした。
1995年から約2年間、私はここで開発をしました。当時、ソーラーアークはまだありません。
当時の桑野取締役(後の社長)は、研究開発本部長であったことから、しばしば岐阜の事業所を訪問され、会話する機会が何度かありました。
根っからの技術者であり、三洋電機の太陽電池の開発の立役者であった桑野さんは、熱心に私達の話を聞いてくださりました。
公開できないことが多いものの、私はここでたくさんのことを学び、ここでの経験がなければ、私は技術者としてやっていけなかったかもしれません。
特になにかと破天荒で豪快だった研究室の室長の教えは貴重でした。
その中でのまさに破天荒で豪快な一節
スタッフ:適切なOSがなかなか見つかりません!
室長:作ればええやん!
スタッフ:・・・・・本日解散!
室長:おいこら!
岐阜事業所
岐阜事業所の歴史は古く、もともとカラーテレビの生産を行っていたそうです。それもあってか、施設の中にはカラーテレビの紹介を行っているスペースが設けられていました。
非常に広大な工場であり、巨大な生産ラインがありました。工場見学で見ましたが、圧巻です。
社員食堂は賑わいがあり、各種売店も完備されていました。
事業所と道を隔てた隣には、団地のような社宅があり、単身あるいは家族で多くの人が住んでおり、一つの村のようでした。
それに混ざるように研究所や他の施設などが林立していました。
従業員のほとんどが車通勤であることから、広大な駐車場も完備されていました。
当時、三洋電機の未来を疑う人は誰一人としていなかったと思います。私もそうでした。
しかし、運命は残酷です。三洋電機はなくなり、多くの人達が生活していたこの土地も消滅します。
おわりに
施設のいったんでも見れてよかったです。
今回の訪問は人生で心に残ることでしょう。
あと、私が好きな風景の写真を掲載しておきます。
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