雑感1985 序章
1985年、当時私は19歳から20歳を迎える時期。関西から上京してきて、調布市にかつて存在した映画専門学校に通っていたのです。周辺の年の記憶はぼやけているのに、この85年にあった事は、おどろく程に記憶が鮮明なのです。なぜか?
まあ、いわゆる青春真っ只中だったのに加えて、自分の興味のある範囲のカルチャーが万事元気だったという事なのでしょうね。また、専門学校の寮生活が始まり、そこで日々共に暮す様々な属性を持った同級生=友人たちから、多大な刺激をもらったというのもデカいでしょう。
まずはラフに85年にあった事を思いつくまま箇条書きしてみます。
●映画
紛れもなくハリウッド映画にとても元気があり、エポックが多々生まれた年です。製作年度で言うと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『グーニーズ』の年。非常に落ち込んでいた時、『ランボー 怒りの脱出』を劇場で観た時、あまりの痛快さに笑ってしまったのです。まあワンマンアーミーものにしても度が過ぎる、一線を超えちゃったな、みたいな。同時期に『コマンドー』『地獄のコマンド』もあったのですから、明らかに娯楽映画の質が変わり始めた年に思えます。
あと、いわゆるMTV映画、主題歌と映画のタイアップ、MTV監督の劇場映画への進出も盛んになっていた頃で、日本公開はもう少し後ですが、カルト映画『L.A.大捜査線』なんかもまさにこの枠でしたね。
●マッドマックス!
シリーズ第三作『マッドマックス サンダードーム』の年。満を持して公開されたこの作品についての思い出は沢山あるのですが、前年からアニメの放映が始まっていた『北斗の拳』の人気や、マッドマックステイストを持つ国内映画やPV作品がちらほらでてきたり。一番はLDゲームの『ロードブラスター』ですかね。
ビデオ文化の登場により、海外のパチもんマッドマックスにもアクセスできるようになり、ファンとしてはいろいろと実りが多かったんですよね。サンダードーム本編の仕上がりには色々と考えさせられるものがあったのですが。
●ゾンビ!
この年に作られたゾンビ映画とカテゴライズできるものに『死霊のえじき』『ゾンバイオ/死霊のしたたり 』『バタリアン』『デモンズ』『スペース・バンパイア』があって、まあ豊作なんです。
しかし本家ロメロの『死霊のえじき』以外は、みんな走ったりしゃべったり、元気なゾンビ。ゾンビの再定義が試みられた年とは言えないでょうかね?
●ビデオ
当時のビデオ雑誌を何冊か入手しているのですが、日本でビデオレンタル業種が本格的に形になってきたのが83年〜84年頃で、85年くらいになると、そろそろ各エリア、町に一軒小さなビデオレンタル店がオープンする感じでしょうか。
そんな中で、海賊版ビデオや未公開作品がどんどん輸入され、映画好きにとって刺激的な時期に突入。実は全米の興行を席捲していたキャノン・グループの作品なども日本人の感覚からすれば、主にはビデオ経由のものだった気がします。OVA(含むくりいむレモン)の隆盛も含めて、あの頃のビデオ文化って矢継ぎ早に色々なタイトルが、色々な方向から出てきて、すごかったですね。
●『ストリート・オブ・ファイヤー』のブーム
前年公開されるも、世界的に大したヒットにはならなかったものの、間違いなく日本ではじわじわ人気が加速していた青春ロック映画『ストリート・オブ・ファイヤー』。自分らは映画専門学校だったので、その傾向が他よりも強かったように思います。なんか皆サントラ聞いてたよな〜。
あの映画には日本人が憧れるアメリカンなファンタジーが濃縮還元されていたような気もするのです。ご当地の人たちからすれば、ちょっと小っ恥ずかしいのかもしれませんが、字幕というフィルターを通した我々には、とにかくイケてたように思います。
で、例えば、その空気感は85年のOVA『メガゾーン23』や、後の『バブルガム・クライシス』他、色々なところで、露骨に、赤面レベルで刻まれています。
●バイク
毎月新車がどこかのメーカーから発売されるくらい、加熱ブームの真っ只中。自分自身も前年に中免を取得して、MVX250Fに乗っておりました。そしてとにかく、バイクを題材にした映画、アニメ、コミックが当たり前のようにそこいらにあり、物語の主人公が当たり前のようにバイクに乗る時代でした。少なくとも男子たるもの、高校を卒業したら中免取ってバイクに乗る時代だった事は間違いありません。
30〜40万出せば、中間排気量のバイクが新車で買えたし、若者も平気でローンを組めた、今から思えば豊かな時代だったんですね。
自分は創業まもない「バイク急便」のバイトに応募して、違反点数がたまって免許をなくした年でもあります。後述します。
●スケバン刑事とかおニャン子とか北斗の拳とか
まあ、フジテレビの勢いが凄かった時期なんでしょうね。今は見る影もありませんが。『宇宙刑事』三部作と入れ替わるように始まった東映の『スケバン刑事』。こういうアイドルアクションものがお茶の間で話題を取り、トップアイドルを育てる場だった時代の豊かさというのもあります。
専門学校の寮友に、アイドル好きの友人がいまして、彼はほんとにそっち方面のアンテナがビンビンで、前年のオールナイトフジから夕やけニャンニャンと、しっかり追いかけていたのも印象的です。自分はほとんどそっち方面はハマらなかったのですが、南野陽子はかなり刺さりました。
しかしスケバン刑事で満たされていたのか、この年の東映ヒーロー『電撃戦隊チェンジマン』『巨獣特捜ジャスピオン』『兄弟拳バイクロッサー』はほとんど観なくなってしまいました。あと『TVおばけ てれもんじゃ』。
前年にジャスピオン以外は、レンボー造形企画で、FRP抜きの短期バイトで関わった作品たちなのですが、84年に大好きだった東映ヒーローものも、これら85年からはまったく観なくなってしまいました。なぜだ?
●機動戦士Zガンダム
1979年の本放送で追いかけて、翌年にガンプラ発売の瞬間に喝采し、劇場版へと向かうサクセスを目撃する事ができた『機動戦士ガンダム』。まさかのその続編が生まれるなんて。1984年まではガンダムってのは、独立した単体のアニメ作品だったのです(パラレルな小説版はあったけど)。
いや、ほんとなんです、信じてください!
●ファミコン
発売から2年が経過し、ブレイクタイトルである「スーパーマリオブラザーズ」がリリースされて、大ヒット。自分の耳にもそのタイトルが入ってくるくらい人気になっていた記憶があります。ここからいよいよファミコンも本格的に普及が加速。自分も一瞬だけ(訳あり)ファミコンオーナーになったのが1985年でした。
まあとにかく、ファミコンってビデオの普及に続いて、生活環境を一変させるインパクトがありましたね。
一方、アーケードゲーム。この頃は夜になるとゲーセンに行く習慣がありました。今日も1000円も使っちゃったぜ…みたいな罪悪感とセットでしたね。仕送りしてくれてる地元の母ちゃん、すまん! でも 日々日々新しいゲームが登場していたこの年、映画やビデオ、バイク以上に刺激的なのがゲーセンのビデオゲームだったのですよ。
「スペースハリアー」「魔界村」「グラディウス」「ハングオン」!
●TO-Yとかバンドとか
この頃からバンドブームのようなものが出てきたんじゃないでしょうか。自分は音楽ほとんど聴かなかったのですが、周りの友人たちが色々と音楽にうるさかったので、自然と耳に入るようになりました。
モッズ、ARBといった老舗に加えて、バービーボーイズ、米米CLUB、爆風スランプ、レベッカ、TMネットワーク、BOØWY等が、大ヒットしてないにせよ、そろそろ歌謡曲に混ざり始める感じというか。ロッカーズの陣内孝則も、映画やアニメ主題歌、歌曲の提供で活躍していて、更にいいポジションにいたのが吉川晃司(自分と同じ年)。
その雰囲気を露骨に内容に反映させていたのが、少年サンデーで連載スタートとなった上條淳士のバンド漫画「TO-Y」という具合でしたね。後にリリースされたOVAでは、吉川晃司のライブのモーションをまんまトレスしてて、なんとものどかな時代です。
などと、書き連ねてみましたが、まだまだ記憶のひだに引っかかってる出来事は多そうですので、ここから各パートの思い出をクローズアップしていきたいと思います。
ビバ、1985年!