ニューヨークに咲いた花|ミュゲ(すずらん)の香りと祖母とのお喋り
ミュゲの香りね。
フランス製の香水の瓶を見つめながら祖母は言った。
すずらんの香りでしょ。
そう、だからミュゲね。
祖母は香りにうるさい。
いつもは上から2番目の引き出しに収まっている美しい香水のボトルを机の上に並べる時にはきまって祖母の話がはじまった。
祖母が若い頃と今とでは香水に使われていた呼び名が違う。わりと昔の方が原文に忠実な気がする。ゆえにフランス製の香水に使われているすずらんをミュゲとフランス語で口にしたのだろう。
東京は日本橋の百貨店に勤めていた祖母は舶来品の香水売り場が担当だった。大正デモクラシーにどっぷり浸かった世代であり、新たな西洋文化の影響を受け、女性の自由に光があたった時代でもあった。のちに起こる第二次世界大戦も経験しており、激動の歴史を身をもって感じてきた世代でもある。
香水を思い出すときの祖母は大きな悲劇の先にあった出来事をまるで宝石箱から取り出したジュエリーのように大事に話してくれるのだ。
祖母の影響もあり、私はフランス系のビューティ業界にて従事をすることを決めた。祖母の語りを継いでいきたいと思ったからだ。
フランスでは5月1日はすずらんの日である。大切な人にすずらんの花を贈るとその人に幸せが訪れるというフランスらしい洒落た習慣がある。
わたしは得意げにすずらんの日のことを祖母に伝えた。祖母は香水を語ってくれるときと同じように瞳を輝かせながら、感心したように頷きながら耳を傾けてくれた。
ニューヨーク、今の住まいで迎える初めての春。
今朝、家の花壇にミュゲの花を見つけた。
すずらんをフランス語ではミュゲと呼ぶことを教えてくれたのは祖母だ。