ニューヨークの写真家|ジャン-ミシェル バスキアの肖像写真
バスキアの顔が分からなかった。
彼の名前、作品、若くして亡くなったということは知っていた。
写真家リチャード コーマンのpopupでは、私が人生を歩んできた中で影響を受けた数多くの著名人と出会うことができる。
彼が肖像写真家であること、そしてニューヨークがアート、音楽、ミュージカル、ファッションなど多くの分野で活躍する表現者たちが集う街であることが理由なのかもしれない。
繰り返して言おう。
バスキアの顔が分からなかった。
正面に大きく飾られているにも関わらず、いくどか見てもその写真の人物は見知らぬ人であり興味の対象から外れていた。
唯一記憶に残っていたのは、まっすぐに見つめているその視線が初対面の人に対して度々感じる境界線を引いていたことだ。そこには近寄れないバリアのようなものがある気がしていた。
リチャードの語りがラジオをつけたようにはじまった。
「1984年、マンハッタン ダウンタウン。
その人は撮影で私が訪ねることを知っていた。
指定されたある建物に足を踏み入れた。
スモーク、ドラッグ、ミュージック。
壁に立て掛け置かれたミラー、
奥にはトランポリンがあったかな。
騒々しいノイズの中に30人ほどいて、
アーティスティックな野望を感じたよ。
やがて左手に目をやると、そこにいたのは
明らかにジャン-ミシェル バスキア本人だった」
バスキア、バスキア、バスキア!
問いかけるように頭の中を木霊した。
社会に対する怒りや悲しみ。胸をドンと突いてくるメッセージや描写。
いまやオークションではとてつもない金額で落札されたとビッグニュースになる彼の作品。生み出したのがこの青年なのか。
同時代に活躍していたポップアート、ストリートアートの先駆者であるアンディ ウォーホルやキース へリングの顔はすぐに分かる。しかしバスキアの顔はなぜなのか覚えておらずこの写真が初対面だった。
ようやく写真と向き合ってみた。
写真の中のバスキアはカジュアルな綿シャツにツイードのジャケットを羽織っている。ファッションへの感度も抜きんでていたと言われる。
ストリート系だけでなく正統な服もさりげなく自分流にコーディネートしていて、最高にいかしている。
わずか27年でこの世を去ってしまった。生きているバスキアに会いたかった気もするが、肖像写真があってよかった。
一歩踏み込み写真に近づいてみた。
改めて、彼の作品を鑑賞してみようと思った。