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1「竜馬がゆく」エピローグ

これから司馬遼太郎「竜馬がゆく」(昭和38年、文藝春秋社)の良い箇所を僭越ながら私なりに紹介、解説してゆきたい。まずはエピローグ。

「薩長連合、大政奉還、あれァ、全部龍馬一人でやったことサ!」
幕府軍艦奉行ながら、浪人の親玉龍馬を神戸海軍操練所の塾頭に抜擢し、共に日本海軍の創設を夢みた勝海舟は言った。

「差別とか国籍とか人種問題とか、ウジウジしてはいられん、自分はなんちゅう小さい人間かと気づかされた」
佐賀県の在日部落に生まれ、アメリカの大学でITを学び、ミカン箱に立ってアルバイト2人の前で創業宣言をし、現在、何兆もの金を動かすソフトバンク会長兼社長の孫正義氏は、15の時この本を読んで衝撃を受けた。

高知県出身の漫画家、黒鉄ヒロシ氏は「坂本龍馬」(PHP出版)で、
「私の曾々祖母さんは『龍馬さんはそりゃ怖かった。子供は泣き止んでしまうほどじゃった。いずれ均し(ならし)の世がくるぜよ、とも私に言うた』と言っていた」
「均し」とは「四民平等」のことであろう。
黒鉄ヒロシ氏の曾々祖母様が龍馬と会話しているというのも愉快だが、これで当時の坂本龍馬の実像と理想というものが非常にリアリティを持って感じられる。

5尺7寸(約175cm)もの当時としては高身長で、髪は仁王のようにボサボサ、普段は無愛想と伝わっているので、「怖い」雰囲気は十分あったと思う。また、永く剣術で声を張り上げてきたので、声はガラガラで太いと思う。決してサワヤカではない。演じた役者では萬屋錦之介や藤岡弘、原田芳雄が近い。

黒鉄氏はこうも言う
「司馬さんの坂本龍馬は当然実像ではない。しかし、敗戦後の日本人が失ったのは物品よりも精神性である、そういう意味では『竜馬がゆく』というのは勇気と元気を取り戻す良薬になったのである、実像の研究という外科的手術を施すことには抵抗を感じる」

司馬さんは歴史小説を書くとき、膨大な量の史料をカメラのように読みこみ、現地を綿密に取材し、執筆中には登場人物の縁者から電話や手紙も受けたという。
その上で執筆しているので、物語とはいえ、本質的なものは外れてないと思う。

昨今、暗殺者は誰かとか、フリーメイソンの武器商人だったからどうかという事が言われるが、龍馬にとっても、司馬さん、孫さん、黒鉄氏にとっても二の次だと思う。私もそう思う。

私が司馬遼太郎「竜馬がゆく」を初めて読んだのは大学生時代である。それまでは受験国語でお茶を濁し、読書らしい読書はしなかった。大学入学後、神田の古本屋で100円の「竜馬がゆく」を手にとった。今は宝物になっている。

あれから何十回と事あるごとに読み返し、特に、大政奉還に至る七、八巻は何度も読み込んだから龍馬の本質的なことは、素人にしては多少理解してる方かも知れない。本は写真のように真っ黒になったが(笑)
「何年に何が起きた」とか、「史実がどうだった」なんてのは覚えてないが、それは学者さんに任せる

私の場合「竜馬がゆく」を読んで出世や起業をする気になったわけでもない。事務、鶏肉工場、派遣、塾講師、長芋農家アルバイト、現場作業など幾多の転職の末、今はただの契約社員である(笑)
ただ、読んでると龍馬と同じ「日本人」として力が湧いてくる。そういう効用、面白さである。

龍馬の海援隊は商社であるだけでなく、船中八策、四民平等、大政奉還案など新しい日本の国づくりも事業としており、龍馬は勤王佐幕関係なく多数の諸侯に説いて回った。幕府方でさえ、勝はもちろん、幕閣永井尚志や越前藩主松平春嶽も内容を知っていたし、会津藩の広沢安任や神保修理も龍馬の考えに理解を示していたというのは非常に面白い。

私の祖先は会津城下の藩士だったが、龍馬が生きていれば、あの悲惨な戊辰戦争、多数の婦女子自刃、挙藩流罪はなかったかもしれない。

私は「竜馬がゆく」を読んでから小さなことにこだわらなくなり、どういうわけか怒りがほとんど無くなってしまった。
イイか悪いかワカランが(笑)
まあ、個人的な学び、感動した部分などを徒然に書いてみたいと思う。




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