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イヤリングから学ぶ。

ずーっと雑貨屋さんで見かけて欲しかったイヤリングがあった。
あ、雑貨屋ってところが割とわたしらしい部分なんだけどね。
つまりわたしは宝石屋とか貴金属屋にあまり行かないということ。

雑貨屋で見かけた2,000円するかしないかのアクセサリーを割と真剣に何ヶ月も、なんなら何年も買うかどうかを迷っていた。

そして、今年の夏にそれを買うことに決めた。
なんで「よし、買おう。」という決断をしたのか、何種類かある中で「コレだな。」と決めた理由がなんだったのか、わたしの背中を押したのがなんだったのかというのはあまり覚えていない。

買ったのはアドレナリンの化学式のイヤリング。
ドーパミンにしようか、セロトニンにしようかと思った記憶はあるんだけど、その時のわたしはアドレナリンを選んだのだ。

戦わねばならぬ。
と、感じていたんだな、わたし。
まぁ、思い当たるフシはないわけではない。
分かる。
わたしは割といつも戦闘モードでいることが多いんだ。

買って以来、たまに目についたらこれをつけて出掛けていたんだけど、わたしの耳と相性が悪いのか落ちやすいのよね。
耳にしっかり留めすぎると耳が痛くなるし、その匙加減が難しくて。

そして、それをつけて出かけたおとといのこと。
気付いたら片耳からイヤリングが一つなくなっていた。

駅に向かう途中で気が付いたんだけど、引き返して探す時間もなく、もう片耳分も外してコートのポケットに突っ込んでおいた。
合流した友人たちに「無くしちゃったよー」と愚痴り「片耳でも可愛いんじゃない?」なんて慰めてもらっていたんだけど、気になるからまたポケットに戻す。

そうこうしてるうちに、友人たちと別れ、少し時間があったので寄りたいところに寄ってから、帰路に。

ポケットに手を突っ込んでみたら。
「あれ?ない。」

ポケットに入れてたはずのもう片方のアドレナリンがなくなっている。
思い当たる場所は時間が出来たからと敢えて寄った場所の最寄り駅のトイレ。

たまたまなのかも知れないけど、一日で一気にわたしの手元からアドレナリンがゼロになったことに何か意味があるんじゃないかという気がしている。

もうストレスかけなくてもいいよ。
もう戦うの終わりだよ。
もう実力以上のもの出そうと頑張らなくてもいいよ。

など。

今年はちょっと色々あったので、(ちょっと色々?どっち?笑。その話もそのうち書くよ。)ずっと力が入りまくっていた。
少しずつ力を抜き始めて良いからねと誰かに言われてる気がしてだな。
誰なのか知らんけど、神様?
多分、そうね。

まぁ、わたしの性格的に頑張るというか最低限のことはやるっていうのが標準装備されていて、それを外すと不具合が出るので、外さないとしても少しリミッターをコントロールするようにしたら良いのかなと思ったよね。

来年はね、そういう感じにしていきたいなと思ったりしている。
少し早いけど来年の抱負かも知れない。

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