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小説|夏日影に消ゆる君 #5
五、
朝曇りに途切れて鳴くのは蝉の声。ではなく、目覚ましアラームだ。
もうかれこれ五回ほどスマートフォンのスヌーズ機能と戦っていながら、詩音は未だ身体を起き上がらせることができないでいる。
気圧の変化に弱い方ではないのだが、ここのところバタバタしていたせいで疲れが出ているのかも知れない。
今日は特に予定もない。徐々に沈んでゆく意識に抗うことができない。
(いかん、起きんと…)
昨晩、琉生と町で偶然出会うなんてことはないだろうと考えた詩音は、やはり彼と初めて出会った同じ時間、同じ場所で待っているのがいいのではと思い、こんな時刻にアラームをセットしていたのだ。しかし、時刻は五時四十分。日の出からすでに三十分ほど過ぎようとしていた。
「……! 寝坊じゃ!」
重い瞼をこじ開けて確認した時間にびっくりして飛び起きた詩音は、ドタバタと洗面所に駆けていき、歯を磨き顔を洗い、適当な服に着替えて山に向かった。
もう居ないかも知れない。いや、そもそも今日居るという保証はどこにもないのだが、とにかく急いで山を登った。
ススキの抜け道の前まで来て漸く息をついた詩音は、邪魔な葉を手で払いながらゆっくりと奥へと進んだ。
「よう」
──いた。
端正な顔立ちの男が昨日と同じように、朽ちて倒れた木に腰掛けたままこちらを見つめていた。
「どうした?」
「え、あ、まさか……居るらあて思わざったき」
「アンタ昨日もそれ言ったな」
琉生は可笑しそうに笑うと、自身の座っているすぐ横、木の空いている場所をポンポンと叩き「まぁ座れよ」と言った。
ふわりとまた、花の香を焚いたような独特の香りが鼻を掠めた。
やはりこの匂いはこの男のものだったようで、彼が動くと馥郁と香りが立った。
詩音が隣に座ると琉生はまるで愛しい者でも見つめているかのように、嬉しそうに双眸を細めた。
「オレに会いに来たんだろ?」
夏の空を映したような目にしっかりと覗き込まれ、目があった瞬間、思わず胸が詰まった。
目の奥と鼻の奥がギュッと熱くなり、どういうわけだか涙が込み上げてきた。突然泣き出すなんて、変なやつだと思われたくない。咄嗟に目を逸らし顔を隠そうと俯きかけたとき、恐らくその気持ちを汲み取ってのことなのだろうが、気が付けば彼の腕に抱きすくめられていた。
「……オレも、お前に会いたくてここに居た」
「………」
琉生の声が震えている。詩音が腕の中でコクリと小さく頷いて見せると、いっそう強く抱き締められた。
「ずっと待ってたんだぜ、ずっと……」
離れていたときよりずっと強く梅の香が鼻を抜けてゆく。華やかで甘みが強く、包まれると身を委ねたくなってしまうような、そんな──……。
後ろポケットに入れていたスマートフォンが電話の着信を報せている。気付くと詩音は朽ちた木を背もたれにして地面に座り込み眠っていた。
「琉生……?」
鳴り続ける着信音に構わず周囲を探し回るも、琉生の姿はどこにもない。夢ではない。と思う。流石に寝ているときと起きているときの区別ぐらいは付いているつもりだ。
空を見上げれば朝曇りの空はすっきりとした晴天に変わっていた。ようよう鳴り止んだスマートフォンで時間を確認すると、時刻は朝九時を少し回ったところであった。