小説|夏日影に消ゆる君 #7
七、
「決まったかえ?」
「決まんねぇ」
「宇宙なんかどうじゃ」
「それは去年やった」
「ほいたら恐竜」
「それは一昨年やった」
「カブトムシなんかどうじゃ」
「虫は嫌い」
「おおの……」
キッチンで昼食の野菜炒めを作りながら湊の自由研究テーマに頭を悩ませていた詩音は、少年の呻き声に気を取られて濃くなってしまった味付けを整えていた。
「コンクールの応募部門は全部でいくつあるがよ?」
「四つ。国語と理科と社会と生活」
湊が毎年参加しているという自由研究コンクールは、地元の新聞社が主催する小中学生を対象としたコンクールだ。湊は一年生の頃から毎年欠かさず参加しているのだが、参加者も多く未だ賞をもらったことがないのだという。
「おれはいつも理科部門で参加してるんだけど、強敵が多くて苦戦してるんだよね」
確かに自由研究といえば実験や観察なんかが多い印象だ。
「単純に参加部門を変えてみるとか…」
「何に?」
「社会科部門やったら歴史とか地理とか調べがいのありそうなやつがこじゃんとあるろう?」
「えー! 地味!」
地味ときたか。詩音は野菜炒めを皿に盛りながら苦笑した。
「地味とか派手とかは審査基準にはないき大丈夫じゃ」
「あるよ! 地味だと印象に残らないじゃん!」
詩音が貸してくれたタブレットで過去の受賞作品テーマを片っ端から閲読していた少年は抗議する。
「湊の言う派手がどがなもんを差しちゅうかがわからん」
「んー……なんかドカン! って感じの」
本人もよくわかっていないらしい。
「派手なテーマばっかりが受賞するがやったら、今まで湊が出してきた研究が地味やったちいうことになるろう」
詩音は湊が去年、一昨年と出した宇宙や恐竜というテーマが決して地味だとは思えないと言い添え、過去の受賞作品と賞を逃した作品には決定的な違いがあるはずだと説明した。
「とりあえず食べ」
野菜炒めとご飯と味噌汁をテーブルの上に置き、湊の向かいに座る。
小学生の自由研究と言えど、コンクール受賞作品となればジャンル問わず大人顔負けの研究量で挑んでくる応募者も少なくない。中でも大賞受賞レベルとなると夏休みが始まる数ヶ月前から研究を開始している場合もある。特に湊少年がいつも参加しているという理科部門であれば、研究時間や研究の応用発展数は審査結果に大きく影響することは間違いない。
「えー! じゃあおれ今年もダメじゃん!」
夏休みが始まってもなお研究内容が決まっていない湊は〝負け〟を確信し項垂れた。
「いや、諦めるがあはまだ早い」
しかし、詩音には勝算があるようだ。
「今年の研究を、来年の研究の序章にあたるように発表するがよ」
「ジョショウ? あぁ! 序章ね! で、どういう意味?」
「シリーズ物の第一章として書くがよ。勿論、第一章は第一章で完結はしよらんといかんけんど、一年、二年と続く研究は継続力も評価してもらえるき、入賞もしやすい。まぁ、言うたち湊は今年五年生やき、あと一年でまとめられるような内容やないといかんか……」
「あと一年で……うん、何か考えてみる! 理科部門以外でも。今年こそ金賞……は難しいかもしれないけど、絶対賞が欲しい。で、来年は絶対金賞が欲しい!」
どうやら闘志が戻ってきたらしい。湊は目を輝かせながら今日これからすべきことを挙げていった。まずは研究テーマを決める前に、過去の受賞作品にどのような特徴があるのかを調べる。今まで理科部門にしか興味のなかった湊は、他部門の作品をあまりよく知らない。少しでも広い視野で取り組めるように、昨年の各部門ごとの金賞作品と銀賞作品を調べることにした。
「詩音くん書記係やってくれる?」
詩音には湊が過去作品から気付いたこと、感じたことを記録する書記係の任が与えられた。
次に、と湊は続ける。
「テーマを決める! これは今日決まるかわかんないけど、決まったら詩音くんにお願いしたいことがあるんだ」
「お願いしたいこと?」
「そう! 科学館だったり博物館だったり、情報が得られそうな場所を一緒に調べてほしい」
「あぁ、なるほど! 情報収集なら任いちょいて!」
設定目標が明確になったところで、十八時の門限まであと五時間だ。湊は皿に残った野菜炒めを口の中に掻き込むと、すぐさま作業に取り掛かった。
夏休みはまだ始まったばかりだが、何しろ彼が手がけるのは来年に続く超大作のプロローグだ。県や市のコンクールとは違い、民間主催のコンクールは審査基準もその年によって多少異なる。それは審査員が毎年異なる企業から抜擢されるからだ。小中学校の教員が審査員を務める県や市のコンクールの方が、審査員の好みは把握しやすいのだが、目新しい研究よりも教員が決めた審査基準をちゃんと満たしているものが選ばれやすい。県や市主催と民間主催のコンクール、どちらもメリット・デメリットはある。後者は審査員が毎年変わることで好みを把握しづらいというデメリットもあるが、湊に合っているのはこちらであろうと詩音は考えていた。
「詩音くんメモって。この社会科部門の金賞作品だけど、研究の動機がめちゃくちゃ面白かったんだ」
詩音はノートパソコンで少年の気付きを記録しながら、少年の意外と深い洞察力と子供らしい発想に静かに感銘を受けていた。先日少年に「ライターに向いちゅうかもしれん」と言ったが、あながち外れてはいないのではないかと思った。
雨が強まってきた。台風は予想より早く本土に接近しているらしい。詩音は「親御さんが心配するき」と湊を門限より二時間早く家に送り届けた。
帰宅した詩音は、湊から消さないでねと言われていたページをひとつひとつブックマークしていった。少年の闘志を借りて、審査員のあいさつ文から好みの推察でもしようかと考えていたが、静けさを取り戻した広い部屋はあまりにも物悲しく、すっかりやる気が萎んでしまった。
湊がいたときは上手く気を紛らわせていたが、やはり一人になるとどうしても琉生のことを考えてしまう。抱き締められたときの温もり、頬に添えられた手の大きさ、触れた唇の柔らかさ、耳心地の良い声、全てを思い出してしまった。
この日、詩音は珍しく深酒をした。