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蝦名芳弘を探して 第七回

赤木洋一が「パンデラ」から「アンアン」に異動した理由は、彼が早稲田の仏文を出ていたからである。初期「アンアン」は日本版「エル」でもあったので、フランスとの窓口役が編集部に必要だったのだ。赤木は「アンアン1970」において創刊当時の編集部の様子を、前作「平凡パンチ1964」に続いて軽やかに描いている。
 奇人である創刊編集長、芝崎文にまつわるエピソードや、立川ユリ&秋川リサと並ぶ初期の人気専属モデル、ベロニック・バスキエを日本に呼んだのはいいものの、大阪万博の影響でホテルがどこも満員だったため、自宅に居候させる話とかはとても楽しい。その中から鮮やかに浮かび上がってくるのは、最初の2年間の「アンアン」とは、ADの堀内誠一がすべてを仕切るヴィジュアル・マガジンだったという事実である。
 だがその一方で、意図的に水底深く沈められた事実も多い。本書を読むと、木滑良久が芝崎のあとに編集長に就任したことは書かれていながら、彼が蝦名芳弘(と中谷規子。木滑の次に社長になった人物)を編集部に連れてきたことには触れていない。おそらく2年契約が切れて堀内が編集部を離れるのを機に「普通の売れる雑誌」にすることを清水達夫から命ぜられた木滑は、蝦名の才能を必要としていたのだ。そう、当時は二人の仲は良好だったのである。このあと二人の間で何が起こったのかを書いてしまうと、本書刊行時点ではマガジンハウスに残っていた木滑に迷惑をかけてしまうとの気持ちが、蝦名の存在を消し去らせたにちがいない。赤木が面接してアンアンの契約スタッフに採用したにもかかわらず、その後、蛯名の愛弟子になったからというだけで淀川美代子の存在も消し去ったのは、やりすぎの気もするけど。

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