■noteを書き続ける「意味」
「note」と「私」(31) 「noteを読んで」改 不定期刊
◇投稿4年目も右肩下がり
あす2月4日で2021年から始めたnoteが4年目に入る。
その、投稿データは下記のとおり。
年ごとの投稿記事本数は不明だが、右肩下がりになっているだろう。
自分が書いた詩はほぼすべてnoteに投稿してきた。自分の手元のデータでは下記のとおり。
詩の本数
2021年=531編 22年=356編 23年=259編
詩を書きだしたのはnote投稿前年の21年12月からだが、その最初の1年とnote投稿はほぼ重なり、年ごとに詩を書く熱量が落ちている。いつも読んでいただける人もいるにはいるが、それが拡大してはいないし、投稿本数の減少に伴ってビュー数も3年目が最低だ。つまり、人気はまったく上昇していない。
去年12月に、年が明けて投稿4年目に入るに際して、「もっと読まれる、稼げるための戦略を考えて実行して…やる」などとつづったが、自分でも笑いたくなる。
◇チコちゃんに教えられた
きのう2月2日夜放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」(受信料を払い出したのは結構最近になってからw)を見た。
その中に、「おばあちゃんになるとフラダンスを踊り始める人が多いのはなぜ?…」というのがあった。
その理由が、高齢になって「自己実現欲求」を満たすためだ、という解説があった。
高齢者が趣味を通じてそれぞれに自己実現を図るというのだ。
僕の詩作もそうかもしれないな、と思った。
しかし、僕の場合はマズローの5大欲求における最上位にある自己実現より、その下にある承認欲求を満たしたい、という思いのほうだと思っている。
3年余り詩作をしてきた。しかし、詩誌に載った、賞を取った――と他人に誇れる成果が未だにない。
それがない、承認されないままに書いているっていうのは……。
自己実現のため、と考えるべきなのか。
僕の詩作は、高齢男性の趣味である釣り、盆栽、そば打ちなどと同じようなもんか。
そうだ、そうなんだな…きっと。