「記録」と「記憶」の価値
映画館 場内に客は10人ほど
入りは 10分の1
封切りから4週間
客入りはさっぱり――
そんな評判が聞こえていた
そのとおりの ありさま
あれから1年
たった1年
もう1年
いや 何年も何年も前だった
そんな感じがする
あれから1年
違う 1年もたっていない
昨年7月末から8月にかけての
できごと
1年にも満たない時間
流れたのは それだけだ
その記録
映像の記録
なぜ
みんな見ようとしない
人気が出る
ヒットする
それは
株や 美人コンテストと同じだ
あの人も この人も
票を入れる 株を買う
そう考えて
人びとは 行動する
クィーンになれる
人気銘柄になる
その人となりや 経営業績だけで
ヒットするのではない 買われるのではない
ヒットが生まれる仕組みは
そこなのだ
客席の10分の1も埋まらない
不人気映画
誰も見たいと思わない
現に見に来ない
ヒットしない
売れない
当然の結果
だが
ぼくは
確かに 1年足らず前に
この東京であった
できごと
「まつり」にならなかった
できごと
あの時間の 共有者でしかなかった自分
その立場で
記録を見ておきたかった
もうすぐ
SIDE:Aは
不入りのまま終わるだろう
それを追いかけるように
SIDE:Bも
終わるだろう
その前に見ておこう
ぼくは今から Bを見に行くよ
少なくとも
この映画は
ぼくには見る価値があった