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■次の機会に…いや、次はないな

現代散文自由詩人の独り言(65)
「詩集」を読んで (19) 不定期刊

◇小笠原鳥類
テレビ         思潮社 2006年6月刊 
現代詩文庫222    思潮社 2016年4月刊


この2冊、途中で投げ出した。
「テレビ」は、『ひろがるテレビ、イソギンチャク色彩カラーテレビ、鮮やかな花のような生き物達を集合させるテレビ…。大量の色彩破片の乱反射にはじまる未来の「放送」10篇を収録。『現代詩手帖』ほか掲載を単行本化』なんだそうだ。

先の「詩集」を読んで(17)■「わからんでいい」というモノで触れた、森本孝徳とともに、月刊詩誌「現代詩手帖」の選者を務める小笠原鳥類の詩集である。
縦横びっしり文字をぶちこんでいる。写真右側の表紙のように、一見すると般若心経かっていう感じだ。
なおかつ、理解、共感させることを拒否するような文言、詩文がずらずらと並ぶので、「読み切れない」のである。やはり、これはひとつの経文なのかもネ(笑)。

意味を取る、理解する――そうせずともいいのかもしれない。現代美術、書画、音楽と同様に、「感じ」ればよいのだけれど、僕に感じる何かは、この人の詩と詩集からはなかった。

今は、読まれるかもしれないが、50年、100年後の人が読む、手を出す詩集だろうか。
つまり、時代性でなく、普遍的に生きる人間の心を震わす何かがあるのだろうか――。
その感情から、僕は逃れられない。

ということで、現状、来年6月号で選者が別の詩人に代わるタイミングでしか自分にとって「チャンス」はないという気がする。
従って、今月は手帖誌への投稿はしなかった。
森本&小笠原鳥類というトンデモ系詩人のお眼鏡にかなう詩を、僕自身読み込んで「攻略」する気にならないとどうにもならない、と正直に思う。

読み切れず、借りた図書館に返却…また借りるね、と小さくつぶやいたけれど、僕にとって次に読む機会はたぶん、ない詩集、詩人。

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