◇「詩人」の死
「文学」と「作家」への道(52)
今朝(11月19日)、寝床でスマホのヤフートピックスを見て、谷川俊太郎の死を知った。
「大詩人」の死より、そのことが報じられた時間が気になった。
ヤフーの元ネタは、読売。読売オンラインの配信時間は「2024/11/19 03:12」、真夜中である。共同通信は、「2024年11月19日 03時10分」。
そして、谷川の詩を長く掲載している朝日は、朝日新聞デジタルの配信はずっと遅れて「2024年11月19日 4時24分」だった。
亡くなったのは、今月13日。連載を持つ朝日がそれを知らないはずはなかっただろう。遺族が初七日が済むまで公表しないで、という依頼があったのだと思う。
それを聞きつけた共同が先に書いて、読売が後を追った…のだろう。
真夜中の配信にバタバタさせられたんじゃないかな。
朝日の担当記者は、残念だったろう。朝日デジタルでは、午前5時前に『亡くなる2週間前、谷川俊太郎さんは言った 「死ぬっていうのは…」』という追悼記事を配信している、有料だが。
まあ、担当しているのに訃報を他社に抜かれるのは、時々ある話だ。
紙の新聞の締め切り時間は一般に午前1時くらい。各新聞間で協定があり、その締め切り時間以降は降版時間を遅らせてニュースを入れるということは基本しない。
今回の件、ひょっとしたら紙の新聞で報じたか、とも思ったが自宅に届く新聞にはそれは載っていなかった。
まあ、新聞業界の外の人には関係ない話。
大詩人の死に接しても、その詩や人となりより、僕個人としてはその報じられ方のほうが気になった。
◇谷川の立派なところ
詩を読む、書くことに触れて、書き続けるようになってようやく4年。その間、「現代詩世界」に自分はいるつもりだ。詩人として一等知名度が高かった谷川の作品も読んでいるが、特段心に残るものは、実はない。
3年前に、当時の谷川の新刊詩について「■90歳が詩で描く世界」
を投稿したが、今も考えは変わらない。
読売の訃報の見出しに、「鉄腕アトム」主題歌を書いた…とあるが、世間一般にはその歌のほうが、谷川俊太郎の「詩」作品のどれよりも、何倍も有名だろう。
歌としてうたわれる詩を残している点は、すばらしいし、現代詩人を名乗る人間のほとんどがそうでないことを考えると、ある意味偉大な功績とも思える。
うたわれない言葉を文字にし続ける現代詩は、やっぱりちょっとおかしくないか。