【写真詩】「酉の市の夜」
三の酉―
仕事帰りに浅草まで行く
鷲神社 浅草駅から結構距離がある
行列に並び 入り口まで来ると
神職が御幣を振る
その下を通り 中に入ると
広くはない境内にぎっしりの人が
明るい提灯の光の下 にぎわい
酉の市 去年も行って熊手買ったけど
特にいいこともなかった
だから 今年は行かずにすまそうかな
そう 職場の上長につぶやいた
小山のような彼女は言った
「違いますよー そういうのは
毎年まいとし行くことに価値があるんですよー
一度いいことがなかったからって
行かないのはよくないですよー」
そうだ そのとおりだ
毎月まいつき
ぼくは都心のパワースポットに足を運ぶ
それと同じだ
極端に悪いことはない
いいこともないけれど
最悪は避けられている―
足を運ぶ……のだ
酉の市に行き 熊手で福をさらう
さらえないかもしれないけれど
いつかは
この自分にも
小さな福が引っかかるかも……
その思い その行いが
ひょっとしたら 福につながる
そう信じる人たちのため
ああいう場が存在するのだろう
彼女のいうことに納得したぼくは
浅草まで足を伸ばした
その日 職場(デイサービス)の利用者にも
酉の市に行くかも―そう話した
利用者の高齢女性が
「あそこで知り合いが店を出しているから 行ってみて」
そう言うのである
へぇ…そうですか…行けたら行ってみます
あいまいに返事したが
足を運ぶことに意味がある
そう考えなおし 神社に行った
言われた店を探した
見つからず 帰り際に張り出された境内の地図を見ると
その店があった
踵を返し 行ってみた
確かに店があった
私が働く施設の〇〇さんから聞いて来ました
そういうと
店主の女性は
「私の母です 私は長女です」そう話した
そうだよね
利用者の方々は いろんな世界にいるから
自分の子が知り合いだったりすることもある
その店の熊手はちょっと変わっていて値段も高かったが
5千円出して 買いましたよ! 確かに……
本殿前は行列ができていた
その脇から前に進み 100円の賽銭を投げ
ぼくは祈った
妻の病気が治りますように
小さな声を出した
声が湿った
そのとき 初めて妻への思いがわかったような気がした
神社の外 午後9時過ぎて
露店が暗い中 一斉に店を片付ける
普段なら人気も少ない下町のはずれ
そこから 歩いて家に帰った
福をさらう
福をさらう
そう念じて 歩き続けた
隅田川に来ると
夜のスカイツリーがすごくきれいだった