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下高井戸〜若い頃にひとり暮らししたい街〜
路面電車と古い映画館と
昨年の夏ごろ、仕事でこの街について調べていて、ずっと気になってることがあった。僕が20代の頃住んでいた三軒茶屋に似てるんじゃないか?
行ったことのない街なんだけど、なんか懐かしい感じがするのだ。
もちろん同じ区内だし、どっちも路面電車・世田谷線の終点だし当たり前のような気もするのだが、他にも京王線と新玉川線(現・田園都市線)でターミナル駅である新宿や渋谷まですぐで、駅付近を甲州街道/R246(大山街道)が東西に走っていたり、そして何より古い映画館があるってのがいいんだよなぁとノスタルジーに浸っていたら、かたや既に10年以上前に『三軒茶屋シネマ』は閉館していた。
そこの屋上には、北野武の映画に出てくるみたいな鄙びたバッティングセンターがあって、当時は300円で25球だったと思うけどほとんどお客がいなかった。下手すぎてヒット性の当たりが全然打てなかったけど、そんな所で遊んでいる自分が、東京ならではのちょっとマニアックな文化に触れているような気がして、ひとり悦に入っていた。
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駅から線路沿いに歩いて80mという好立地
私鉄沿線、路面電車と学生街
今も昔も、電車賃の安い私鉄沿線には学生街が多くて暮らしやすい。特に世田谷の住宅街は低層の戸建てが多いので圧迫感がなく空が広い。ゆったりと路面電車がバスみたいに走っていて、昔ながらのたい焼きやさんとか銭湯なんかがまだ残っているところも多い。初めて東京に住む大学生とかには、とても馴染みやすい環境だ。しかし最近はここ下高井戸にも京王線の高架化&再開発の波が及んできていて、美味しい鮮魚店などが軒を連ねて有名だった下高井戸市場はもう無かった。
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残念だけど仕方ない。せっかく来たのでお仕事で関わった現地に向かって歩いてみる。不動産規約の表示上では、徒歩7分のはずの道のりだ。
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そうなっちゃいますよね
冬の陽は短く、この季節の現調は1時間くらいが限度だ。若い時は無理して長く歩いて、住宅街で遭難しそうになった。身の程を知ることが、歳を取ることのメリットだ。
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看板犬の豆花(とうふぁ)ちゃんは不在だった。残念
東京だからこそ長く残る古い街並み
たまに東京を歩いて実感するのは、地方では容赦なく古い街並みが壊されているという現実。これは人口集積度の問題だから仕方ない。ノスタルジーだけでは生き残れないのだ。大好きな老舗居酒屋も、家主の趣向を凝らした庭に味がある古民家も、コスパと相続税には抗えない。
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お米屋さんらしい。
ぼくには子供はいないが、今年で高2になる甥っ子がいる。密かに「東京の大学に入ってくれないかな」と思っていて、ことあるごとにその良さとメリットを仄めかして聞かせている。
僕に踏まれた町と、僕が踏まれた町
自分がもういちど18歳に戻っても、やっぱり東京に住みたい。名古屋では中日の試合しか観られないけど、横浜スタジアムも神宮も、なんならロッテの川崎(当時)も所沢にだって行けると思いワクワクが止まらなかった。都会に行けばエンタメもサブカルも洋服も、何でも揃っているんだ。
大学生になって最初に住んだ横浜・戸塚のアパートでは、なぜだか大家さんからのネギの束の差し入れが無言で玄関脇に置かれていた。最寄りのスーパー(市場)には蠅取り紙がぶら下がってて、店のおばちゃんは、当時施行されたばかりの消費税は取らなかった。「800円ちょうどでいいよ。」
何から何まで初めての一人暮らしに戸惑うぼくに、地元っ子の友達は「戸塚なんて ”横浜ですらない“ からね」と皮肉った。もっと早く言ってくれ。
大学3年生からは白金へも通う必要があって中間地点あたりの東横線・日吉へ引越した。そこも言わずと知れた慶応生の街、どこの店でも定食が安くて多くて助かった。そして仕事に就いて2、3年後にやっと三茶までたどり着いた。
ところでZ世代の甥っ子は、どうやら地元の国立大学志望らしい。中3で父を失った彼は、母親のそばにいて安心させたいし学費も安く済むからだという。それでいい。大人の意見など聞かずに自分の意思を持ってたくましく育ってほしい。