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「隠れ家ギャラリーえん」を閉めて、新しいお店でやりたいこと その2

いきなりこの写真↑は・・・多分2006年ぐらいの自分。えんのカウンターにて。ブレブレだけど。
「えん」を閉める理由は、このようなこと。
先日の続きです。
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 「えん」が始まったのは2003年。色々なご縁があり生まれ育った街でお店を始められることになりました。自家焙煎のコーヒーと古民家、当時の名古屋には古民家を使ったカフェはほとんどなかったから暇なお店。ましてや南区という土地柄。なかなか受け入れられる感じでもない。コーヒー屋だから地元の人たちいっぱい来て欲しいと思ってたけど、地元の方はあまり来ない。というか、僕の知っているこの街はもっと人がいてもう少し賑やかだったはず。僕が高校生だった頃は。
「そうかぁ、じゃぁ自分たちで賑やかにすればいいのね」と気づいたのは3年目になったぐらいの頃。この頃から今でいうマルシェ的な、個人的には学祭的なイベントやったりして賑やかを作って来ました。そうこうするうちに、地元の老舗うなぎ屋さんの若大将から「呼続を活性化しようよ!」と声をかけられ、その中で出てきた話し「ここらへん昔は商店街だったんだよね。あんまり記憶もないけど。もういっかい商店街できると賑やかでいいなぁ」と、この話しが僕はすごく魅力的で、それから商店街を作るためにはどうすればいいかをずっと考えていました。
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商店街の何がいいかというと、、、、
例えば商店街の中にある八百屋さん。そこにある親子が買い物に行きました。
お母さんと3歳ぐらいの子ども。八百屋のおばちゃんは愛想よくお母さんにも、もちろん子どもにも笑顔を振りまいてくれます。しばらく通えば、子どもは、そのおばちゃんに顔も名前も覚えられ、小学生になっても中学生になっても少し大人になっても、おばちゃんにとっては3歳ぐらいの時の印象のまま、その子に接します。
対して子どもの方は、少し大人になっていくとそのおばちゃんの接し方に気恥ずかしさを覚えたり、時には煩わしさを感じたりするかもせれません。でも、この気恥ずかしさや煩わしさがとても大切。この記憶のあるまま大人になると、きっと懐かしくその時の気持ちを思い出す時がくると思います。もちろん僕もそう。その時に、この街に住んでいて良かったという思い、家族や友人以外にもこの街に自分のことを知ってくれている人がいる安心感、一人ではなく、街のみんなと共に生活をしているという気づきが生まれます。小さな頃からの「ゆるいつながり」が、やがて自分の中で大きく大切になる時です。今、私たちの住んでいる街には、こういった関係の保てる場はとてもとても少なくなっています。
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僕は、コーヒーを生業にして来ました。「コーヒーは最強のコミュニケーションツール」と思っている。だから、「街とコーヒー」について何ができるのか?なんてこと考えた時に、ここで「えん」を続けるよりも、もう少し街へ飛び出て行った方がもっと面白いことができるのでは?と思い、その気持ちが僕らを強烈にワクワクさせた。だから「えん」を閉めることにしました。

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2006年からやっていた学祭的夏祭りイベントが、2012年からはこのような感じに。老若男女問わずみんなが楽しい。が、一番いい。

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