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「未来への一歩を踏み出す場所を作りたい」髙木ビル三代目がBIRTH LABに込める想い | 株式会社 髙木ビル 髙木秀邦

2024年12月22日、町工場プロダクツが「町プロBIRTH DAY」と題してマルシェと交流会を開催します。「町工場の魅力をたくさんの人に感じてもらいたい!」という想いが集まる場所となる当日の会場は、麻布十番にあるBIRTH LAB。株式会社髙木ビルが運営する多目的スペースです。

麻布十番BIRTH LABにて

BIRTHは「91°の人生を歩もう」をフィロソフィーに、1°でも人生を良い方向へ歩もうと挑戦している人のために髙木ビルが運営しているブランド。

不動産会社の髙木ビルからなぜBIRTHが生まれたのか。東日本大震災をきっかけに、自分のルーツと未来を見つめ直したという髙木秀邦さんに、BIRTH LABに込める想いを伺いました。

プロフィール

髙木秀邦(たかぎ ひでくに)|株式会社 髙木ビル 代表取締役社長
1976年生まれ。早稲田大学卒業後、プロのミュージシャンとして活動。信託銀行系大手不動産仲介会社を経て髙木ビル入社。不動産は”ハードとしての箱”ではなく、”人が集まり、暮らし、コミュニケーションが生まれるもの”という理念のもと、個人やスタートアップのチャレンジに伴走するライフクリエーションブランド「BIRTH」を展開。地域活性を目的とした自治体との包括連携にも積極的に取り組み、不動産における新しい価値創出に邁進している。
X:https://x.com/hidekuni_takagi
コーポレートサイト:https://t-bldg.jp/

100分の1年の我慢

「建てるべきか、止めるべきか」

2011年、株式会社髙木ビルの三代目・髙木秀邦さんは胃の痛みを抱えながら考え続けていた。

3月に発生した東日本大震災の影響で、貸ビル業を営む髙木ビルは多くの困難に直面していた。都心にあるビルや古いビルを中心にテナントの退去が相次ぎ、また、業界ではテナントを確保するための値下げ競争がどんどん熾烈になっていく。

しかし、最も大きな打撃を受けたのは、虎ノ門にある本社ビルの建て替えプロジェクトだった。

2010年に三代目として髙木ビルに入社した髙木さんにとって、虎ノ門ビルの建て替えは最初に手がける一大事業。昭和40年代に建てられた旧耐震ビルの本社は、数年かけてテナントに退去してもらい、震災の半年ほど前から解体が始まっていた。

「髙木ビルの次なる100年を担うものを自分が作るんだ」。髙木さんにとって、承継の象徴を形にする夢がスタートした矢先だった。

震災で人手も資材もガソリンも不足していた。解体と新築を一緒に契約していれば資材発注は済んでいたのだろうが、髙木さんたちは解体だけの契約をして、同時進行で設計を進めていた。そのため、いざ解体が終わって建築を始めようとしても資材が無い。

認定が取れていない海外資材を輸入して使うという選択肢があることはあった。ただ、髙木さんは「100年後まで持つ本社ビルを作る」というテーマで建築計画を立てていた。不安な資材を使って押し進めてもいいものか。長年建物に関わってきた髙木ビルだからこそ、施工状況が悪いビルが10年20年経つと悪さをしてくることも、管理に手がかかることもわかっている。

しかし、着工を遅らせるということは、何十億円もかけた建物で賃料が取れないということだ。虎ノ門の髙木ビルの現在の賃貸料はワンフロアおおよそ300万円程度。本社を除いて貸している7フロアが全部埋まれば、月間の賃貸料は約2100万円だ。1年間着工が遅れれば、年間で約2億5000万円が入らなくなる......。

髙木さんは、二代目である父親と、髙木ビルを長年支えてきた番頭役の社員と3人で何度も話し合った。

頭に浮かんだのは祖父のことだ。1961年に髙木ビルを創業した祖父は、農地改革に伴う裁判や立ち退きを乗り越え、コツコツと資金を貯めて、創業から8年後の1969年に第1号ビルを完成させた。祖父がとんでもない苦労をして踏ん張って建ててくれたビルが、時空を超えて髙木さんたちに幸せを提供してくれている。

自分だって、「じいちゃん、あのときなんで1年我慢しなかったんだ」と、まだ見ぬ孫が迷惑をするような中途半端なものは遺せない。

1年で2億数千万と考えて躊躇していたが、100年分の1年の我慢だったら耐えられる。「絶対にいいものを作るために、得られるはずだった利益は我慢しよう」と決心が固まった。

新しい入居の話はない。新しい建築は止まっている。それでも、大きな借り入れが無かったのが幸いし、瞬間的に赤字になったものの、経営は持ち堪えることができた。

2012年の夏、資材の供給が安定するのを待ってようやくスタートした新本社ビルの建設に、髙木さんは「髪の毛1本のような細かいところまで」全力を尽くした。

株式会社髙木ビルの虎ノ門本社ビル

いろいろなピースが繋がって生まれた「出世ビル」

着工から2年後の2014年5月に完成した「これからの100年を担う」新本社ビルは、髙木さんにとってやる気と未来の象徴だった。

このビルに自分の魂を込めたい。ただフロアを貸すだけではなく、入居者が未来に向かう応援がしたい。

髙木さんは入居するテナントの募集を営業担当者だけに任せず、積極的に関わった。

2015年、とある入居を希望する企業から「敷金を保証する仕組みが最近できた。これを使って髙木ビルに入居できないか」という相談を受けた。

敷金とは、万が一のことに備えて不動産オーナーが最初に入居者から預かっておくお金。この敷金を保証するサービスを提供するベンチャー企業があることを、髙木さんはこのとき初めて知った。

家賃が払えなくなったときのための家賃保証とはまったく違って、敷金を保証するというのが新しい。詳しく話を聞きたいと、仲介会社に保証会社の人を紹介してもらった。

ベンチャー企業やスタートアップ企業にとって、ビル入居前に払わなければいけない敷金は大きなハードルだ。敷金を減らせれば、事業に投資する資金が増やせる。従来のビルオーナーとテナントの関係性を越えて、テナント企業の成長ストーリーに伴走できるのが面白い。話を聞いた髙木さんは、彼らと一緒に「次世代型出世ビル」のプロジェクトを始めた。

「震災前のマインドだったら、僕は机に座って審査をしていたと思うんですよ。入居を希望してきた企業に『なんか怪しいからダメ、却下!』と大きくバッテンをつけて終わりだったんじゃないかな。震災と虎ノ門ビルの建設を通じて考え方が、人生が変わっていなかったら、このプロジェクトは始まっていなかった。いろんなピースが繋がっている気がするんですよ」

不動産業界は、扱う金額が大きいだけに慣習を大切にする。髙木さんが前面に出て入居者と話をしていなかったら、敷金保証サービスの情報は営業担当者のところで止まってしまい、髙木さんに届かなかったかもしれない。実際、虎ノ門ビルの入居者にこのサービスを使うことは社内で猛反対されたそうだ。

「彼らに悪気があるわけじゃないんです。会社を守るために実直に慣習に従ってきてくれました。不動産ってモノですよね。モノを運用していくというのは守り続けること。バブル期など、少し踏み外せば一族破産みたいな状況の中で、代々社員が守り続けてきてくれた会社の資産を僕が扱わせてもらえるのは、幸運でしかないんです」

とはいえ、従来型の不動産経営は、立地や耐用年数など「箱」のスペック頼りだ。コストやモノだけで勝負をしていては、震災後のような市場競争に大きく左右されてしまうし、未来の不動産の価値は減っていってしまう。従来型の経営をしていた同業他社がコロナ禍で廃業や売却を余儀なくされる姿を見てきた髙木さんが、真剣な目付きで口を開いた。

「今だからいろいろなことを格好いい決断みたいに語れますけど、どこかでボタンを掛け違えていたら......。たとえば敷金保証システムが実は成立が難しいものだったり、周囲に説得されて『やっぱり堅実にやるべきだよな』って新プロジェクトに舵を切っていなかったらと思うと、ぞっとするし正直怖いです」

大きな決断があったというよりも、ちょっとした人との繋がりや出会いが今の自分の人生を作っている。そのことを自覚しているからこそ、髙木さんの言葉からは周囲の人たちへのリスペクトと愛が感じられる。

「パッと見はキラキラ君っぽいとよく言われますが、調子に乗りようがないですよね」と髙木さんは笑った。

BIRTH=人が集まり、暮らし、コミュニケーションが生まれる場所

「髙木さんはビル会社だから、ビルに入る会社のことしか見ていないでしょ」

敷金保証のスキームを使って虎ノ門ビルに入居した成長企業やベンチャー企業との間にいろいろなコミュニケーションが生まれるなかで、髙木さんはこんな言葉を耳にした。

「僕らがラッキーだったのは髙木さんに出会えたから」という彼ら曰く、ビルに入るまでの段階が一番大変で、自宅やアパートで仕事をしているから孤独だし、応援してくれる人が周囲にいないのだという。

見えないところでチャレンジしている人たちを応援するためには、ビルに入る前の場所づくりをしなければ。スモールオフィスやシェアオフィスを髙木ビルで展開できないか考え始めたとき、後にBIRTH LAB第1号になる神田のビルを中古で購入した。

オフィス街にあるその古いビルの最上階はオーナーの住居だったが、間取りが少し変わっていて住居としては使いづらかった。入居希望者はいつまでたってもゼロ。オフィスフロアに転用するのも大変そうだったので、社内でも「ずっと空いていても仕方がない」と放置されていた。

この神田ビルの最上階フロアをコワーキングスペースとして貸し出せないか。代わる代わる人が集まる場として眺めると、3LDKの住居は、3部屋が個室のスモールオフィスとして、リビングはコミュニティスペースとして使えそうだ。

髙木さんは、他のフロアはリニューアルして賃料を上げることで不動産としての採算を取りながら、「最上階は僕にチャレンジさせてください」と社内を説得した。

こうして、誰かに側にいて欲しいという想い、「For "Stand by me." 」に寄り添うためにBIRTH事業は誕生した。60年以上の歴史を持つ髙木ビルの不動産業を土台にして、働き方や生き方など、人が抱える想いに伴走しながら革新を生み続ける「未来への一歩を踏み出す場所」として。

今回「町プロBIRTH DAY」の会場となる麻布十番のBIRTH LABは、1階がフルオープンスペースというダイナミックな構造。コワーキングスペースやギャラリー、イベントスペースとしてだけでなく、動画撮影や収録場所としても活用できる。

「ビルオーナーである僕たちだからこそできる場作りを積極的に行うことによって、企業さんの活動により深みやスピード感がでたり、長期的な施策が打てたりするのではないか」

ユーザーさんたちとコミュニケーションを取りながら、髙木さんはこれからも企業の成長に伴走する場所、個人や企業がさまざまなチャレンジをしやすい場所を作っていくだろう。

祖父から父、そして自分へと受け継がれた想いを「100年先の未来」に繋げるために、魂を込めながら。

取材・執筆:ロマーノ尚美
編集・校正:坂本リサ


\ 町プロタウンからのお知らせ /

町プロキャラバン、始まります。町工場プロダクツ初の自主POP UP企画!

クリスマス&お正月を彩る町工場商品のマルシェ&交流会を開催します。

場所:町プロ BIRTH DAY at 麻布十番BIRTH LAB
日時:12月22日(日)
マルシェ 13:00-16:00 入場無料
交流会  16:00-18:00 チケット制 (町プロタウンのメンバーだけではなく、どなたでもご参加いただけます!)

チケットのお申込みはこちらから▼

https://park.jp/service_menu/7408


最後までお読みいただきありがとうございました!

2021年より活動を始めた「町工場プロダクツ」がさらに発展し、町工場とファンが共創する新しいオンラインコミュニティ「町プロタウン」が2024年4月にスタートしました。

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