なんとなくで十数年ほど気が向いたときに絵を描き続けて、最近考えるようになったことを在り来たりかもしれないけどここに残しておこうと思います。 最初の頃は単純にほめられるのが嬉しくて、自分の絵を見て喜んでもらえることが嬉しくて絵を描いていました。自分に自信が持てるものといえば絵くらいしかないかなみたいな感じで。 芸術系に進学したいっていう気持ちはどこかであったもののやはり色々と難しく、普通の4大に入り自然環境とか建築とかまちづくりについて広く浅く学びました。そこで出会ったのが
地上から山や大きめな建物を眺めたときの感じ方と、逆に山頂や展望台から眺めたときの感じ方のギャップが気になっていた頃があった。山の上から、いつも住んでる街を見下ろしたときに、いつも見ている山と住んでいる家の大きさは当然変わらないはずなのに、どうして山の上から眺めたときはあんなに小さく見えるんだろう、という具合に。ある日、職場先から近所の山々を眺めていたときに思い浮かんだ自分なりの答えを、ここに記録しておこうと思う。 ものの見え方には光が大きく関係しているようだ。ものが発す
(持論備忘録。) 後悔しないように生きましょう っていう言葉をよく耳にする 後悔だらけの人生は あんまり望んでいないし できるだけ後悔は少なくしたい でも、全く後悔せずに生きることは 不可能に近いと思っている 今までやって来たことや選択を やり直したい時まで遡って あの時とは違うもうひとつの方を 選んだとする その瞬間としてみれば ずっと悔やんでいたことを やり直せたのだから 満足するかもしれない でも、仮にそうやって 巻き戻してやり直せたとしても また違う後悔が
数か月後、この場所は 工事の仮置き場になるらしい そんなはなしを耳にした この場所は、幼い頃に 自転車の祖父の後ろに乗せられて よく連れてきてもらった場所 どこにでもあるような畑と小屋 僕のなかでは特別な場所だった 豊かな緑 小川の音 とりの囀ずり 遠くに見える 街のシルエット 幼い頃の感性の多くは この場所で養われたといっても 過言ではないかもしれない 自分自身も今は土木設計の 仕事に携わっているので 事業サイド側の事情も頷ける でもやっぱり、いざ自分が
いま、自分が立っている街。場所。 1年前は、10年前は、100年前は、 どんなところだったんだろう。 どんな出来事があったんだろう。 そして1年後、10年後、100年後、 この場所はどうなっているのだろう。 全く別の場所になっているのか。 それとも変わらないままでいるのか。 そんなことを考えると いまの自分とこの街が出会えたのは ひとつの奇跡であり二度とないこと そして それが移り変わっていくなかでの 通過点であることに気づく。 常に変化し続けていて その瞬
なんとなくひとり旅に出たときに 漠然と思ったことのメモです。 旅する意味とは?何のために? 旅の目的は人それぞれあると思います。 趣味を楽しみたい人、美味しいものを食べたい人、景色を眺めたい人、温泉につかりたい人、、、 自分はどうかと考えたとき最終的に 知らない街の日常に触れたいという 答えにたどり着きました。 学生時代に都市とか街とかそういう分野に 触れていくなかで、多くの人に見逃されて しまうような在り来たりすぎるものごと、 つまり日常にこそ、本当の大切な何かが