ねこの寝ずの番して秋の夜は更け
※ねこの死を悲しむ日記です※
実家で飼っていたねこが死んで1年が経った。
私が小学生の時に飼っていた猫が産んだ仔で、産まれた瞬間から15年ほど一緒に暮らしていた。
私が実家を出てからは(流行病が猛威を振るったりもしていたので)会う機会も減っていったが、いつ帰っても実家にはねこがいた。
父が死んだ日も、父の葬儀の日も、父のいない暮れと正月にも、ねこはいた。
それがいなくなった。ねこのかたちをした喪失だけが残った。
死ぬ前の数日間はすっかりと痩せ細って、いつでも艶やかだった毛並みも乱れて、つぶらな目もどこか苦しそうに細められるばかりだった。朝起きたらもう動かなかった。まだあたたかくて目は開いていてぐんにゃりとしていた。瞼を閉じて姿勢を整えてやっている間もまだあたたかかった。
斎場で焼かれるまでは、ねこがきにいっていた毛布の下に保冷剤を敷いて、冷房をガンガンに効かせて一緒にいた。
保冷剤を替えるときに抱き上げると、その硬さと冷たさにいちいち悲しくなった。丸くなった姿勢のままひょいとそのまま持ち上げられて、もちろん抵抗なんてしない。腕の中から飛び降りたりしない。
毛皮のさらさらとした感触は生きていた時と同じで、眠っているような顔つきの愛らしさだって変わらないのに、「死んでいるもの」としてただそこにあった。
焼かれた後の骨まで可愛らしかった。目玉を支えていた頭骨。なだらかな曲線を描くように一つ一つ繋がる背骨。尻尾の先や足の指の小さな骨。ぜんぶが愛おしかった。
実家に帰ってももうねこはいない。
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