「酩酊物質」としてのSNS中傷
SNS上での誹謗中傷行為が原因でひとりの女子プロレスラーが亡くなったことで、にわかに誹謗中傷行為への議論が盛り上がっている。コロナウイルス禍による緊急事態宣言の解除も相まって、しばらくの間はワイドショーの格好のネタになってしまうことだろう。何よりも故人とそのご遺族には謹んでお悔やみを申し上げたい。
果たして、この議論の盛り上がりにより誹謗中傷にあたる行為そのものが減少するだろうか、あるいは、法整備・規制によってこういった行為をなくすことができるだろうか。まず無理だろう。
この問題に向き合うにあたってしっかりと押さえておきたいのは、SNSでの誹謗中傷行為に限らず、おおよその暴力と言われる行為は「酩酊物質」であり、そうである以上は、場合によっては快感を伴うものであるという事実、そして酩酊物質は依存症を伴うものであるという事実だ。
暴力行為が快感を伴う。この前提についてはもはや人類史の歩みから覆しようのないものだが(それを学ぶのが「世界史」だと言った社会科の先生がいらっしゃるようだが、まさにその通りだと思う)、暴力という行為から快感という作用へ至るメカニズムを考えるとき、酩酊物質のそれになぞらえてみると非常にわかりやすいと私は考える。
酩酊物質というものは、合法のものと非合法のものとを問わず摂取するとおもに脳神経の作用に影響を与えるのだが、この過程を細かく見てみると、まずはメンタルをつかさどる要素の中で高次的なレイヤーにある「喜怒哀楽」のリミッターを外すところから始まる。これは、たとえば飲酒の形でアルコールという酩酊物質を摂取したとき、ひとによって「笑い上戸」になったり「泣き上戸」になったり、はたまた他人に絡んだりするような喜怒哀楽の現出が極端に大きくなることからもよくわかる。同時に、その作用の出る方向性が個々人によって異なるのも重要なポイントだ。
喜怒哀楽のリミッターが外れると、その一つ下のレイヤーにある「快・不快」のセンサーがむき出しになる。より原始的な部分がむき出しになるため、快・不快のセンサーが作動したときの行動は、より本能的になる、言い換えれば理性が働かなくなるのである。酒の飲み過ぎによる泥酔状態を想像していただけるととても分かりやすいのではないだろうか。
暴力がエスカレートする様も、酩酊状態が深くなっていくプロセスと同様で、回数を繰り返すうちにまずは「喜怒哀楽」のリミッターが外れ、「快・不快」のセンサーがあらわになった時に、本人にはコントロールできない部分で〈快〉の側に作用が発生すると、全能感の錯覚が起こって歯止めが利かなくなるのである、その時全能感を抱いている当人は「最高にキモチイイ状態」に没入しており、理性でストップをかけることはもはや不可能な状態となり、更なる〈快〉を追い求めるようになる。この点において、すでに酩酊物質への依存症とほぼ同じ振る舞いとなるのである。
酩酊物質への依存症のふるまいについては既に広く知られているが、その過程をシンプルに挙げると「①脳神経の変調に端を発し、フィジカル・メンタル含む身体の広範に変調をきたす」「②体調の変調に伴って、更なる酩酊物質の摂取を希求する」「③摂取希求にあたり、その手段を選ばなくなる」「④手段を選ばなくなったことで、不法行為に手を染める、併せてその不法行為の正当化を図る」「⑤不法行為に及ぶことで、社会秩序に悪影響を及ぼす」「⑥これらのふるまいを繰り返すうちに、場合により命にかかわる健康被害をこうむる」といったところになる。
しかし、現在問題になっているSNSによる誹謗中傷行為はほかの酩酊物質の特性に加えて、
◆酩酊物質(誹謗中傷のターゲット発見や中傷行為の実施そのもの)入手にあたって、ほとんど経済的な負担が発生しない。経済的破綻が訪れないことで事実上、無限に入手が可能である。ゆえに、摂取にあたってのハードルもほぼないに等しいくらい低い。
◆凶器(主に言葉)の生成が非常に容易であり、かつオーダーメイド性に富むこと、作りだした凶器の殺傷能力へのフィードバックをすぐに得られることから、承認欲求を満たす形で〈快〉を加速させがちである
→たとえ繰り出した言葉をいさめるような、あるいは非難の言葉であっても、「全能感」の前では称賛として受容されてしまう
→加えて対象が著名人の場合などは特に「これは中傷ではなく批判だ」「有名人ならこれくらい我慢しろ、有名税だ」「好きなことやって食ってるんだから、好きなことで食えてない人間のサンドバッグになれ」などといった極めて非合理的な理屈での行為の正当化につながる
◆酩酊者の集合にあたっての物理的制限がほぼないため、酩酊者同士による集団ヒステリーが容易に発生する(たとえばハロウィンの大騒ぎが瞬間的にそこかしこに勃発して、そのまま止まらなくなるイメージ)
◆直接的な物質の摂取ではないため、健康被害を生じない(倫理的・内面的な部分への訴えは、前述の通り「全能感」により作用しないか逆効果)
◆それでありながら、被害者のフィジカル・メンタルほか社会秩序・活動に与える不具合は通常の酩酊物質と同等か、場合によってはそれ以上(最悪死に至る)
という点で悪質である。とくに、摂取者当人に及ぶ健康被害の度合いと、被害者並びに社会秩序に及ぼす悪影響の非対称性の大きさはSNSによる誹謗中傷行為の特に大きな特徴であると言える。
このように考えたとき、SNSでの誹謗中傷行為について、特に社会秩序の部分において社会として対応が急務であるという議論には全く異論をはさむ余地はないのだが、現象のとらえ方とその対処にあたっては、より科学的なアプローチが求められると私は思う。その一つが「酩酊物質として暴力を考える」ということなのである。そう考えると、たぶんだが、依存症治療の特性を考えたとき、この問題は加害者への福祉まで考えなくてはならないものなのではないだろうか。