ぬ
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現代欧米哲学による表象美術論へのアプローチ 春学期第5回講義課題
以下に添付したPDFを参照し、その視覚的特徴を記述せよ(400字程度)。また、今回授業で提示したデータベース等にアクセスし、PDFの画像を特定せよ(授業で触れた以外のデータベースを参照した場合は出典を必ず明記すること)。
期限は明後日月曜日正午までとする。
期限を過ぎた提出は認めない。
なにか質問があれば担当柿崎まで。 柿
PDFを開くと、画像が表示された
ぬ
それだけであった。おそらく明朝体と思われる字体で、白い背景にくっきりと1文字だけ記されている
ぬ
何度見返してもひらがなの「ぬ」である。ファイルが壊れているのかと思ったが、何度見ても「ぬ」である
「ぬ」の何を記述しろというのか。馬鹿にしているのか。教授は研究のしすぎて頭がおかしくなったのか。癪に障ったがとりあえず単位は欲しいのでむしろ好機と考え、持ち合わせた語彙と文章力を総動員して400字ちょっとをでっち上げた
書き終えてからやはり不信感が拭えない
何か大きな罠があるのか。これは私の知っている「ぬ」ではないのか。ひょっとして拡大したら他の文字が隠れているのかも。何も無い。眼前にあるのは生協で買ったノートパソコンと、Googleクロームのブラウザと、PDFファイルと、白い背景と、ビクともしない骨太の「ぬ」である。ふざけるのも大概にしろ
とりあえず提出してこの事は忘れたい。幸い出席して課題を何らかの形で出しておけば単位は取れるはずであるから、一刻も早くどうにかしたい。「ぬ」のことなんて考えたくない
問題は後半である。この「ぬ」がどこからやってきたか当てなければならない。気が遠くなった。この黒々とした「ぬ」の向こうに何があるというのか。学問という名のブラックホール。単語を覚えている数とその単語を引き出す速さで人間的価値が決まった受験生時代が懐かしい
埒が明かないのでとりあえず友人にその画像を送ってみた
しばらくして返信があった
『「め」に似てるね』
馬鹿野郎が。失望した。そんなこと小学一年生だって知っている。金持ちの子供ならむしろ幼稚園上がる前に知っている。なんならさっき『「ぬ」は左斜め上からのやや短い一画、それと交差するように右上から始まる曲線が右下で止められる点においてひらがなの「め」に酷似している』と私も書いた。でも求められているのは「ぬ」であり「め」では無いのだ
とにかく、データベースを見てみるしかない。授業画面からURLをクリックして指定されたサイトを開いた。古今東西の文化的遺産が高精細デジタルデータとして記録されているサイトである。人類史始まって以来の創作物の中からたった1文字、東アジアの一島国でしか使われていないマイナー言語のうちの決して特別とは思えないが特定の1文字を見つけ出さなければならない。どこまでも広がる色とりどりの砂利の中から1粒の大豆を探し出すようなものだ。勘弁してくれ
さすがに途方に暮れた。お手上げだ
課題提出フォームを見るとすでに何人かの生徒がこの馬鹿げた宝探しを終えているではないか。やや良心が痛むが、こっそり見ることにしよう。なにしろ「ぬ」と狂った教授によって耐え難い苦痛を与えられているのだからちょっとくらいいいだろう
『高校時代の記憶を辿り、はじめは『五十音』の「め」かと思ったが、データベースから『五十音』を再度確認し「ぬ」であると断定した』
3度見した。随分達者な日本語を操る留学生だなと思いたかったが、記入者はどう見ても日本人名である。まるで「ぬ」を知らないようなこの書きぶりはなんだ
慌ててほかの生徒の提出済み課題も見た。どれもがだいたい似たような感じで、まるで「ぬ」なんてひらがななんて知らないような書きぶりである
頭が痛くなってきた。だがとりあえず提出してしまえば安心だ。他の何人もが当たり前に当たり前のことをもっともらしく書いているんだから私もそれに習えばいい。息も絶え絶えになんとか書きあげて提出した
というか授業タイトルからしておかしいではないか。現代なのか欧米なのか哲学なのか表象なのか美術なのかはっきりしろ。しかもこの題でひらがなを考える意味ってなんなんだ。もう嫌だ。学問ってなんだ。向いてないかもしれない
無事提出できたことを確認したのでほっと胸をなでおろし、席を立って冷蔵庫に向かった。中から冷やしておいたお茶を取り出してコップに注いだ。
ソファにどっかり身を投げ出して一気にお茶を飲み干して一息つくと、なんとなく背後の窓の外を見た
家の前の道路には人間は1人も歩いていなかった
歩いているのは猿ばかりであった