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【連載企画】竣工即負債#05〜負債としないために(その1)〜

前回までと今回

市民生活を支えたり豊かにするために税金を投下して整備したはずの公共施設。
一般的には竣工した瞬間がピークで、その後はジリ貧になり老朽化・陳腐化が進行し、負債としてザ・公共施設マネジメントなる名の下に短絡的な総量縮減の対象となってしまっています。

前回までは、この竣工即負債となる論点を整理してきました。今回は、前回までの論点で抜け落ちてしまっているポイントを補足したうえで、「ではどうすれば良いのか?」を考えていきたいと思います。
(これまでもしつこく記載していますが、「こうすれば絶対うまくいく」のではなく、「そもそもの失敗をしないための必要条件」としてご覧ください。)

竣工即負債となる論点(その他)

検討組織の解体

厳しい財政状況のなかで公共施設を整備していくためには、庁内・議会・市民への説明が必要となります。
「なんのためにやるのか?≒ビジョン」を明確にして、財産の総合調整権を持つ首長が「自分の言葉で堂々と」説明すれば良いのですが、関係者の理解を得るための「理論武装」やガス抜きの市民説明会・ワークショップなどでお茶を濁す≒「なんとなく」の合意形成を得ることに走ってしまうことも多いのではないでしょうか。

このハコモノを整備していく部分に対しては、企画部門(や施設所管課)を中心に大規模な検討組織・体制が敷かれることとなり、コンサルへの業務委託などもしながら、関係者への理解を得ることも含めて「ハコモノ整備」に向けて総力をあげることとなります。
このピークはPFI法に基づくPFIでは事業契約、従来型であれば工事請負契約の議決の時点でしょう。

そして、事業として地方自治法上の手続きが完了すると、事業者との詳細協議や工事監理が主となるため前述の組織・体制は縮小されていきます。悪い場合にはこの時点で検討組織・体制が解体・自然消滅し、施設所管課の「事務事業」としての位置付けになり、粛々と事業が進められることとなります。

この縮小にあわせて行政・議会ともに関心は薄れ、公共サービスが提供されるスタートラインにも立っていないにも関わらず、誰がどう経営するのか・KPI/SLAなどが設定されることはありません(形式上のモニタリングのみ)。
ハコモノとしての公共施設の場合は竣工式典が華やかで、関係者も満面の笑みで臨席しますが、民間のプロジェクトでは華やかさの裏で関係者にはそれ以上の緊張感が張り詰めているわけです。

設置管理条例

整備する公共施設が公の施設に位置づけられる場合は、当該施設の「設置及び管理に関する条例」が必要となります。
大半の公共施設では、この条例が「文化芸術の振興を図るため。。。」「町民の福祉の向上に寄与するため。。。」「みんなが集い、賑わいの場として。。。」等、非常に曖昧なパワーワードが羅列されています。
久米島町のバーデハウスでは「観光振興と町民の健康増進」という2つの相容れない目的が設置管理条例で位置付けられていたため、メインターゲットとなる客層や客単価の設定、サービス水準を定めることができず、休止に追い込まれてしまいました。(現在、バーデハウスについてはこの点も含めて整理して、再生に向けて準備中です)
つまり、「なんのために」が設置管理条例でも明確になっていないのです。

もうひとつの設置管理条例の問題は、30年も40年も前に整備された設置管理条例の「設置目的」が全く見直されないことです。
社会経済情勢などの変化に合わせて世の中は変化しますが、公共施設だけが設置当初のまま時間軸が止まっているのです。当然にサービスの見直しが抜本的に行われることもなく、まちと乖離していくので貸し舘中心の「受動的」なハコモノになってしまい、愛されないことで老朽化・陳腐化が加速していきます。

愛されない公共施設の象徴_ブラウン管テレビ

現実を認めない

これまで述べてきたような思考回路・プロセスで整備されたハコモノとしての公共施設は、構想時点で描いていた淡い「なんとなく」の未来が叶うことなく、「こんなはずではなかった」の現実が突きつけられることとなります。
しかし、「なんとなく」案件ながらもこれまでのプロセスで相当の時間・労力・税金をつぎ込んできたので、(更にそれが身の丈を超えた巨大・華美なものであるので、)簡単に「こんなはずではなかった」を認めるわけにはいきません。

「ビジョンが明確ではない、適正なコンテンツがセットアップされていない」といった本質的なことには踏み込まず、なんとかその場だけを取り繕うために更に税金を投下して1日限りの動員イベントを乱発したり、キャッシュアウトしている部分を各種保守点検委託や備品類等の運営コストの削減といった小手先の誤魔化しに走ってしまうのです。あるいは、リーシングがうまく機能しない「余剰床」には公共施設を無理やり突っ込んで、余計なコストを発生させたりします。
こうした「やること」が目的化してしまった単発のイベントは乱発するほどに関係者が疲弊し、適正な運営コストの短絡的な削減は施設管理・運営のクオリティの低下に直結します。
「余剰床の余計な公共施設」は、ある自治体でのリアルな実話として、指定管理の委託料に再開発ビルを維持するための共用部の電気代・エレベーターの保守費等をまぎれこませ、実際にそのハコモノにかかっているコストすら把握しにくいようにしています

「墓標」に代表されるように、身の丈を超えたハコモノは図体の大きさだけでなく、関係者も多数・複雑になっているために、簡単には経営改善・改革は実施できません。しかも、こうした(自称も含めた)ステークホルダーに面目を保つうえでは、「現実を認めない」ことがその場をやり過ごす選択肢となってしまうのです。

竣工即負債となってしまうハコモノは、こうした意味でも闇が深いのです。

企画時点から負債

竣工即負債となってしまったハコモノは、過去から今日まで全国各地で整備されてきています。
拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも記載しているとおり、行政は非合理的な社会なので、全てのプロジェクトを理路整然と実施していくことが難しいのは事実です。

竣工即負債の経験は大小あれど、どこの自治体でも経験しているはずです。にも関わらず同じようなことが繰り返されてきています。そうした経験知は、どこのまちにも感覚的に蓄積されているので、構想段階で「これはヤバいな」と認識できるハコモノもあるはずです。

先日も関わっているある自治体で、まちなかの一等地に「一部の有力者がなんとなく決めてしまったハコモノ整備事業」の話が進んでいましたが、職員からも「これはヤバい」との声があちこちからあがっているにも関わらず、ハコモノ整備事業が止まることはありません。悲しいことに竣工即負債の上を行く「やる前から負債」案件も存在しています。

負債としないために(その1)

経験(≠失敗)から学ぶ

ここまで取り上げてきた竣工即負債となるメカニズムを回避していけば、少なくとも「そもそもの失敗」は予防できるはずです。
もちろん、有機的・流動的・不可逆的に動き続けるまちのなかでの話なので、思わぬところでコケたりすることはあります。ただ、コケながら試行錯誤していくことこそ大切なことなので、コケることを恐れてはいけません。
コケたら「なぜコケたのか、どこでコケたのか」、体でも理論でもはじめてわかるようになってくるのです。

ということで、ここまで4.5回にわたって記してきた竣工即負債となるロジックの逆をいくことが初歩的なことになると思います。

二次元の「計画」に惑わされない

公共施設を整備するために、これまでは基本構想・基本計画・実施計画など重層的な計画が必要とされてきましたが、これらは庁内・議会・市民との共通認識を醸成するうえでは有効かもしれませんが、どうしても抽象的・総花的になりがちですし、計画は二次元でしかありません。
激動の世の中では何十年も先の未来は読めません。つまり、二次元・長期スパンの計画をもとにガチっとしたハコモノをつくっても持て余してしまいます。

二次元の計画を先行させるよりもサウンディングはもちろん、状況によってはトライアル・サウンディングを展開し、市場と向き合いながら三次元で「自分たちのやりたいことと市場がマッチングするポイント」を探していくことが重要です。

静岡市で行われているトライアル・パークはこの発展形として(後の項目での論点にも通じますが)面白く、有意義な取り組みだと思います。

トライアルパークの狙い
集客のポテンシャルを示すため、蒲原の拠点づくりには「トライアル・サウンディング」という手法を用います。この手法は、実際に暫定形態で拠点をオープンさせながら、蒲原に相応しい機能や施設を試行していくという手法です。例えば、何か物を売りたい人がいるとき、いきなり店舗を整備するのではなく、キッチンカーや仮設店舗という形態で始めてみるというものです。
 比較的小さな投資でテストマーケティングできるので、集客のポテンシャルを確認でき、この場所に真に必要な機能が洗練されていきます。それらが明確になった時点で設備を拡大したり、機能を常設化したりすることができます。これにより、いきなり大きな施設の整備に着手してしまうより、リスクが軽減できます。

静岡市_道の駅整備事業「トライアルパーク蒲原」 OPEN!

ビジョン・コンテンツの精査

「こうあったらいいな」「たぶんこうなるだろう」と「なんとなく」大切なことを曖昧にしたまま進めてしまうから、竣工即負債になってしまうのです。

プロジェクトを進めるために重要なのは、これも拙著「PPP/PFIで取り組むときに最初に読む本」のメインテーマである「ビジョン・コンテンツの精査」です。
「文化芸術の振興」といった曖昧な言葉ではなく、日本舞踊でもハードロックでも何でも良いので「何をしたいのか」を具体的な言葉で明記し、それを実現するためのコンテンツをセットアップしていくことです。
このコンテンツも「誰が・何を・どういう頻度で・どういう収支でやっていくのか」の解像度で整理していくことが求められます。「市民・民間事業者(飲食店・物販店)」といった曖昧さがあると、そこには顔が見えません。

中心市街地活性化_模型とCGパース

あるまちでの中心市街地活性化事業の模型やCGパース、確かに「こうなったら素敵だよね」と思えるものですが、そこに出てくる人たちに個別具体の顔はついていません。
ビジョンを明確にし、固有名詞でそれぞれのコンテンツを位置付けていくことは、気の遠くなるほど手間のかかる作業となります。先日もオガールの10周年シンポジウムで岡崎氏が「メンドくさいことをメンドくさいとわかってやっていく」ことの重要性を説かれていましたが、本当にそのとおりだと思います。
現在、支援させていただいている藤沢市でも、都市公園内のホールを改築するとともに周辺の公共施設も集約しながら、まちとリンクしていくプロジェクトの検討を進めていますが、2022年8月下旬現在、当初予定していた検討スケジュールの半分程度しか進みません。

決してサボっているわけでも、非効率的な議論をしているわけでもありませんが、マジックワードの「みんな」「にぎわい」などを根絶しながら必要十分なメンバーでリアルな形でまとめようとすれば、自ずと検討時間は必要となりますし、表面的な合意形成などは通じません。しかし、この苦労こそが竣工即負債とさせないために不可避のプロセスとなります。

コンサルに丸投げしない

上記のようにプロジェクトをガチでまとめようとすれば、プロとして覚悟・決断・行動が求められます。労力やプレッシャーも当然にかかるので、この部分を「効率的にかつ専門性を補完するため」にコンサルへ業務委託したくなるでしょう。
ただ、自分のまちのプロジェクトなので、その経営責任をとるのは自分たちです。コンサルに丸投げしてしまうと、他の事例の劣化コピーにしかなりません。
津山市では、「糀や」「グラスハウス」などの(事業手法が重要ではありませんが、)コンセッション方式を用いたプロジェクトも職員の方々が必死になって考え、市場と向き合いながら自分たちで作り上げています。

弊社で支援させていただく際は必ず契約前に「こちらでは字を一文字も書かない」ことを約束いただくことにしています。

もちろん、地質調査・測量などは外部の力を借りることが効率的ですし必要になりますが、「このまちをどうしたいか」は自分たちで考え、決めていくことが何よりも大切なのです。

次回の予告

今回、前段の部分がだいぶ長くなってしまったので、他の「負債としないため」の論点は次回(以降)に改めて書いていきます。

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