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公共施設等総合管理計画のリアリティ

何年も経過したが。。。

2014年の策定「要請」

総務省がすべての自治体を対象に公共施設等総合管理計画の策定を要請したのは2014年です。
そこから9年の月日が流れていますが、その間にどれだけこの問題が解決に向けて動いたのでしょうか。

公共施設・インフラの老朽化・更新を社会問題化させ、全ての自治体が「主要課題の一つ」として位置付けなければならなくなった点では、確かに総合管理計画の意味があったことは間違いありません。
しかし、旧来型業財政改革の流れで「財政が厳しいから公共施設を減らせば良い」という短絡的な発想では、この問題に対応できないことも現在の公共施設等を取り巻く環境を見れば明らかです。

計画づくりの無限ループ

無垢な自治体は、総務省の「要請」という強い言葉によって、素直に定められた項目をトレースしながら公共施設等総合管理計画、そしてなぜか縦割りの世界に戻る個別施設計画の策定に勤しんだのです。
そして、ここ1〜2年はこれも総務省主導で総合管理計画の見直し作業を進めてきました。残念ながら計画づくりの無限ループに陥り、「マンパワー・ノウハウが足りない」と嘆いているまちはアホコンサルになんの役にも立たない(≒立っていない)計画づくりを丸投げ委託し、財政が厳しいと言っておきながら何百万、何千万といった税金を投下し続けています。

実践を伴わない

この計画づくりの無限ループから、国の要請に従ってそのとおりに進めれば良いという教科書型行政、財政が厳しいから量を減らせば良いというザ・公共施設マネジメントの思考回路・行動原理でいる限りは抜け出すことができません。
「計画行政なんだから計画がなければ実践はないだろ!」「公共施設マネジメントの必要性を市民WS等で丁寧に説明し、市民の合意形成を図ってからでなければ統廃合は。。。」等と自治大学校で教わるような古臭い発想に支配されていたら、いつまでも前に進めません。
計画づくりの無限ループに陥っているうちに状況は刻々と悪化し、打てる手段は次々と消失していきます。

裏を返せば、無限ループから抜け出すためには「実践」が必要です。
まちにでて実際のプロジェクトをやってみる。そのなかでいろんなリアルな姿が見えてくるはずです。それは、そのまちごと・エリアごと・時機によっても異なるはずで「やってみなければわからない」ものですし、それらの経験知があってはじめて「どうやったらこのまちでいけそうか」という道筋が見えてくるでしょう。
こうした経験知に裏付けされた形で市としての姿勢・方向性を示すのが本来の総合管理計画であるべきです。

なぜ機能しないのか

なぜ公共施設等総合管理計画を中心とするザ・公共施設マネジメントが機能しないのでしょうか。

国が作っていない

そもそも、総務省は国全体の省庁横断的な公共施設等総合管理計画を作成していません。国が保有するストックがどの程度あって、この先どのくらいの更新経費が必要なのか。港湾施設や農林関係の施設まで含めて、未利用資産の状況なども国民に知らせるべきです。(たぶん、目を疑うような状況がそこにはあるはずです。)

総務省が国土交通省・経済産業省・文部科学省などと本気になって連携し、率先して国が保有する公共資産の全体像を明らかにしようとしてきたのでしょうか。もし、本気でやろうとすれば「省庁間の壁」で躓くと同時に、そこから多くの経験知が得られたはずです。
こうした経験知が総合管理計画の策定要請に記されていたら、きっと自治体ももっと動きやすくなっていたと思いますし、違った状況になっていたと考えられます。

机上の論理

国(総務省)は残念ながら旧来型業財政改革の一環で「このままでは公共資産の老朽化・更新で地方公共団体の財政がもたなくなる」から「とにかく量を減らせばなんとかなるだろう」と、机上の空論で考えていただけではないでしょうか。
論理的には間違っていないですし、「自分たちが整備した公共資産でまちの財政が持たなくなる」といった民間企業では考えられないような「経営感覚の欠如」がこの問題の根幹であることは疑いようがありません。

ただ、上記のnoteで書いたように行政は民間企業と異なり、経営的な指標で意思決定をすることに慣れていません。そして非合理的・非論理的な行動原理・判断基準で意思決定をしています(意思決定そのものが怪しいことも多いですが)。
そのようななかで、現場の実態を踏まえず机上の空論で考えていた総合管理計画が機能するわけがありません。

都道府県は自分のところすら見れていない

先日、総合管理計画の見直しがまだ完了していない基礎自治体に伺った際に、県の市町村課の職員も同席していました。この総務省から出向している市町村課の職員は持参したチェックリストをベースに「(内容はともかく)とにかく早く必要な事項を踏まえて総合管理計画を策定してほしい」の一点張りでした。
このまちは現在、(遅ればせながら)庁内の推進体制構築・公共資産のデータベース化・包括施設管理業務の実施などに向けて取り組んでいるところであり、それらを踏まえて総合管理計画を見直したいという常識的な判断をしていました。

そこで、この担当者が求めているレベル感を確認するため参考として県の総合管理計画をホームページでみると、彼が散々言っていたチェックリストの項目は記載されていないものも多く、非常に中途半端なものとなっていました。
念のため、「自分のまち(県)の総合管理計画の見直しにあなたはどう関わったのですか?」と聞いてみると「財産部門がやっていることなので全く関わっていないし内容も見ていない」との信じられないような返答が。。。
国も国なら都道府県も。。。結局、自分たちが実践はおろか(リアリティのない)計画づくりすら携わっていないのだから、ノーリアリティにしかなりません。

公共施設だけではできない・意味がない

総合管理計画の策定要請では次のようにも記されています。

(4)公共施設等の管理に関する基本的な考え方
今後当該団体として、更新・統廃合・長寿命化など、どのように公共施設等を
管理していくかについて、現状や課題に対する認識を踏まえた基本的な考え方を記載すること。また、将来的なまちづくりの視点から検討を行うとともに、PPP/PFIの活用などの考え方について記載することが望ましいこと。
具体的には、計画期間における公共施設等の数や延べ床面積等の公共施設等の数量に関する目標を記載するとともに、以下の事項について考え方を記載すること。

総務省_公共施設等総合管理計画の策定にあたっての指針の策定について

総合管理計画の策定要請では上記のように「将来的なまちづくりの視点から検討を行うこと」が位置付けられていますが、その後に続くのがなぜか「公共施設等の数量に関する目標」になってしまい、まちづくりそのものに対しての言及はそれ以降、全くでてきません。

ほぼ全ての自治体の総合管理計画では、「民間と連携して」や「既存ストックの活用」などのそれらしい言葉は書かれていますが、残念ながら公共施設の配置状況は白図に「そのまちが保有する公共資産」しかプロットされていません。
都市計画図・航空写真・路線価・人口分布などのレイヤーも必要でしょうし、何より民間(の類似)施設が全くプロットされていないのに、どのように戦略を立てていくことができるのでしょうか。

流山市_公共施設等総合管理計画_当初

公務員時代に携わった当時の流山市の総合管理計画では「民間にできるものは民間に」をキーワードに、「自治体経営・まちづくりのツールとして公共資産を利活用」することを目指していました。
だからこそ、積極的に民間との連携・役割分担を考えていた学校・幼稚園・保育所・体育施設・文化施設・高齢者(福祉)施設などは、民間施設も全てプロットして具体的な連携方策なども記していました。

流山市_公共施設等総合管理計画_2022年改訂版

残念ながら2022年に見直しされた改訂版ではベースも市街化区域・調整区域の区分のみ(DID地区すら区分していない)で、民間施設のプロットは一切行われていません。

まちのことを見ていない・見えていない状態では「まちとリンク」することはできませんし、当然に地域コンテンツ・地域プレーヤーとの連携もできません。

社会との矛盾

今回の公共施設等総合管理計画の見直しについて、社会との矛盾についてもいくつか指摘しておきたいと思います。

新型コロナウイルス

公共施設等総合管理計画(や個別施設計画等に関する)総務省の文書には、どこにもここ3年間、世界最大の問題になっていた新型コロナウイルスについて一言も触れられていません。
ほとんどの公の施設が休止に追い込まれ、集まることが(人数なども含めて)制限された一方でZoom、各種サブスクリプションの配信サービスなどのオンライン環境が急速に進展しました。働き方も(あまり深く考えずに元の姿に戻ってしまいつつあることには懸念を抱いていますが)在宅勤務・シェアオフィスや大企業では飛行機通勤なども認められてきています。

コロナは世界の社会・経済に甚大な影響を及ぼし、ネガティブファクターであることは間違い無いですが、一方で「生き残るための変化」を与えたとも考えられます。民間ではこの変化に呼応できた企業は業態・業績を急速に伸ばし、(難しい業態もありますが、)対応できなかった業種・企業は難しい状態に陥ったのです。

行政はどうでしょうか。本気で変わろうとしたのでしょうか。コロナを経験した世界における公共施設はコロナ前と同等・同質で良いのでしょうか。それが求められている姿でしょうか。もっと深刻なパンデミックが発生したときに今回のコロナは経験知となっているでしょうか。

公共施設とまちの関係を真剣に考えたとき、総合管理計画でコロナに触れないことはリアリティがあるのでしょうか、求められていることや社会とマッチングしているのでしょうか。

物価高騰

2020年基準消費者物価指数

総務省の統計によると、2020年比で電気代、ガソリン、生鮮食品を除く食糧指数は急激な高騰を見せています。

建築費指数_東京_木造住宅_一般財団法人建設物価調査会

一般財団法人建設物価調査会のデータによると、建設物価は住宅において2011年比で工事原価で約1.4倍、建築だと約1.5倍(意外と建築設備の伸びは低く1.2倍)になっています。
つまり、総務省が公共施設等総合管理計画の策定要請を行なった2014年時点で同時にリリースされていた公共施設等更新費用試算ソフトの単価は、全く現時点には役に立ちません。
また、ロシアのウクライナ侵攻以降の急激な高騰の影響も考えれば、「30%の公共施設総量の縮減」を掲げていたような自治体では、短絡的な総量縮減だけを目指すのであればほぼ全ての公共施設を廃止しなければいけない(下手すると100%廃止しても不足する)かもしれません。

社会との乖離

二 公共施設等の実態把握及び総合管理計画の策定・見直し
総合管理計画は、必ずしも全ての公共施設等の点検を実施した上で策定することを
前提としたものではなく、まずは現段階において把握可能な公共施設等の状態(建設年度、利用状況、耐震化の状況、点検・診断の結果等)や現状における取組状況(点検・診断、維持管理・修繕・更新等の履歴等)を整理し策定されたいこと。
また、総合管理計画の策定後も、当該計画及び個別施設計画に基づく点検・診断等
の実施を通じて不断の見直しを実施し順次充実させていくことが適当であること。

総務省_公共施設等総合管理計画の策定にあたっての指針の策定について

公共施設等総合管理計画の策定後の見直しについては、総務省の要請でも上記のように書かれており、「不断の見直し」が求められていますが、「当該計画及び個別施設計画に基づく点検・診断等の実施」が見直しの要件になるのでしょうか。
結局、計画ありき・計画行政の枠内で話をしているだけなのでリアリティが宿らないのです。

リアルに実践から考えていけば、コロナや光熱水費を含めた物価高騰など公共資産を取り巻く「社会経済情勢の変化」こそが見直しのタイミングとなるはずですが、これらのことに言及すらしていない総合管理計画が機能しないのは自明の理です。

ユニバーサルデザイン、脱炭素?

(薄々は気づいているかもしれせんが、)自治体が10年近くも計画で描いたような進捗がみられないのに、総務省の要請・通知に従って総量縮減一辺倒のザ・公共施設マネジメント(の計画づくり)をしている理由の一つが公共施設等適正管理推進事業債ではないでしょうか。

総務省_2022年度_適正管理推進事業債

総合管理計画を言われるがままに策定し、そこに定めておけば一見有利に見える起債が、(除却債以外は)交付税措置付きでできることとなります。
単年度会計現金主義の思考回路で「財政が厳しいから。。。」と安易に飛びついたり、総合管理計画等の表層的な計画策定業務を生業としているアホコンサルに「事業債を使うために総合管理計画を作りましょう!」と唆されたりしてしまいます。

この点は拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも取り上げていますので、ここではもうひとつ別の論点から考えたいと思います。

(当初は名称も異なりましたが、)除却債のみからはじまったこの起債は、徐々に集約・複合化・転用などに対象範囲が広がり長寿命化、そして立地適正化計画。。。ここまでは(百歩譲って)理解ができます。
が、近年になってユニバーサルデザインや脱炭素までもがこの起債の対象となってしまっています。

そもそも総務省がやりたかったのは「財政が厳しいから公共施設の総量を減らそう!」だったはずです。
集約・複合化・転用は「まち」としての考え方(内閣府・国土交通省・経済産業省等)が非常に重要ですし、長寿命化は中性化抑制などテクニカルな要素(国土交通省)が求められます。ユニバーサルデザインはテクニカルなことやホスピタリティの概念(国土交通省・厚生労働省等)が求められますし、脱炭素は建築設備の更新や環境負荷の考え方(国土交通省・経済産業省・環境省等)が不可欠です。
国全体の総合管理計画を作れなかった総務省が、こうした分野にまで裾野を広げること・それぞれの事業(≠プロジェクト)が交付税付きの起債に相応しいか、高度な専門性を持って判断できるのでしょうか。

穿った見方をすれば「なんとなく」世の中の流れだから、自治体ウケが良さそう(≒自治体の関心を惹きそう)だからやっているようにも見えてしまいます。
2023年度以降はDX、GXといった分野も適正管理推進事業債の対象になるかもしれませんw

脱炭素については、支援業務で関わらせていただいている自治体から空調等の設備更新を「この起債使って従来型で発注した方が有利なのでは?」という相談を受けることが頻繁にあります。
(最終的にはそれぞれのまちの生き方なので委ねますが、)本来はESCO(シェアード・セイビングス)で総合的なエネルギーサービスとして、サービスを購入した方が楽ですし、民間資金・ノウハウの活用も可能でサービス検証までついてくる、イニシャル相当額は割賦払いに近い形で均等払いができるはずです。

PPA(太陽光発電の事業者が自己資金、もしくは投資家を募って資金を集め太陽光発電所を開設し、再生可能エネルギー由来の電気を購入したい需要家と電力購入契約(Power Purchase Agreement : PPA)を結んで発電した電気を供給する仕組み)事業も同じような相談を受けることがあります。

どちらも正直、非常に困惑します。
「PPP/PFIの活用」も総務省は総合管理計画の策定要請で指向していたはずですが、どこへ行ってしまったのでしょうか。
適正管理推進事業債の事業費は確かに範囲の拡大とともに大きくなっていますが、使うのは「そこ」でしょうか。

自分たちの「まち」の問題

国(総務省)が悪いのか

今回のnoteではかなり厳しい表現をしていますが、総務省(だけ)が悪いのでしょうか。
総務省も立場上、全国の自治体を対象にしなければならない難しさがあるのは事実ですし、「起債」という自治体にとって重要な手段を持っている(それ以外の自治体を統制する手段を有しない)以上、ある程度最大公約数でやっていかなければいけない面もあるのでしょう。
そして、「それなり」には地方公共団体のことを考えてくれているのかもしれませんが「現場感覚が欠如」していますし、「旧来型行財政改革の枠組み」でなんとかしようとしていますし、「単年度会計現金主義」の思考回路なのです。

机上で考え理想論・経済学的な世界でのアプローチで「まち」に向き合っていないですし、全国画一的なやり方・計画が通じる時代ではありません(それが通じるなら、どこのまちも金太郎飴的な世界になってしまい、全国一律で同じスピードで衰退してしまいます)。

自分たちでやるしかない

総務省の「ザ・公共施設マネジメントが悪い」と嘆いていても、何も問題解決にはつながりません。公共施設・インフラは加速度的に老朽化・陳腐化し、まちと乖離していきます。そのまちに失望した動ける人から流出し、衰退していきます。

毎回のように書いていますが、結局は自分たちのまちですし、結果責任を取るのも自分たちなので「自分たちでやるしかない」のです。
地域コンテンツ・地域プレーヤーとリンクしながら、多数のプロジェクトを複数同時展開し続けるしかありません。形にこだわっている場合ではありません。

「今できること・やらなければならないこと」を小さなことでも良いのでまずは展開し、そこから得られた経験知がある程度蓄積された時点で、それを形式知にしていく、更に輪を広げていく、後戻りしない原点として留めておく、この先の方向性・ビジョンを明確にしておく。
こうしたことの共通認識のために計画が必要になったら、その時点ではじめて公共施設等総合管理計画を策定すれば良いのではないでしょうか。

このような考え方で進めていくのであれば、(名称も自治体によって多様になるはずですが)総合管理計画の項目・内容・期間・目指すものなどは自ずとまちごとに全く異なるものになるはずですし、それぞれのまちにとって役にたつものになるのではないでしょうか。

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