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不健全な「理論的」をやめて、健全な「何となく」を取り戻したい

約10年間、私は会社員だった。

社会人生活が始まって割とすぐ、ある上司に「何か思いついたら、『なぜ?』を3回繰り返せ。何となくでやるな。」と言われた。


なるほど、仕事というのは、そうやって考えるべきなんだ、そうやって頭を使うんだと、若かれし自分がハッとしたことは今でも覚えている。


それ以外にも、衝動で動かない、感情だけで突っ走らない。
理由・根拠・データ・エビデンス・説得・・


そんなワードに浸っていく生活を随分と続けていたら、これまで「何か、いい」で物事を選び、人生を進めてきた私は、本当にいつの間にか、私を否定するようになってしまっていた。


「何となく」=頭が悪い。「何となく好き」なんて認めない。


それは、「檸檬チューハイが好き」
→なんで?酸っぱいのが好きだから?じゃあなんで梅干しチューハイは飲まないの?みたいな、嗜好をわざわざ考えちゃうくらいのレベルにまで発展してしまい、めちゃめちゃ面倒くさいことになってしまった。


人に説明できないなら、それは本物の気持ちではない。考えなきゃ。言葉にしなきゃ。



そう決めつけて、選ばなかったもの、始めなかったこと、取りこぼしてきた物が、一体いくつあったんだろう。
上司は、あくまで仕事での問題解決の方法を教えてくれたに過ぎないのに、なんでそんな呪いを自分にかけてしまっていたんだろう。


会社員ではなくなった今、堂々と自分自身に言いたい。


好きな気持ちに、やってみたいと言う気持ちに、何かに気持ちが動くことに、「なぜ?」なんて、理由がなくてもいいじゃない。


やりたいなら、飲みたいなら、なりたいなら、それでいいじゃない。


会社を辞めた今、私は自分の「何となく、いい」を、大事に、たくさん集める人生を始め直そうと思っている。


檸檬堂のチューハイは美味しい。

#創作大賞2024
#なりたい自分

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