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茅原のとんど

 「古事記」の中の巻、神武天皇の項の久米歌の中に兄ウカシ、弟ウカシの物語がある。
 はじめに八咫烏をやって、この二人に天皇に仕えるかどうかを聞いたところ、兄の方は鏑矢で射返し、軍を集めて撃つつもりが、軍が集まらないため「お仕えします」と偽って、御殿を造りそこに落とし穴を仕掛ける。弟がこれを暴露して、道の臣の命、大久米の命の二人が兄を、彼自ら仕掛けたわなに無理やり追詰め兄は圧死してしまう。それを引出して斬り散らす。その時に流れ出した血は人のくるぶしまでも届いた、といわれその地を血原という。
 
「血原」の二字をみた時に、私の脳裡に「チワラのとんど」ということばが蘇った。楢原にいる時に聞いたことばである。今の御所市の近くに茅原という所がある。血原、チワラ、茅原である。とんど、というのはとんど焼きのことで、たき火の大がかりなものだと思えばいい。
 楢原にいたのは九歳の頃だったから、一度位はそのとんどを見たことがあるのかも知れないが、記憶ははっきりしない。とんどということばにすぐ浮かぶのは、真っ黒な夜空にきりきり舞いするような、燃えさしの赤いわらや火の粉、炎に照らし出された大勢の見物人のあお向きの顔々などである。
 私がいつのまにかこれらのイメージを作り出してしまっているのかも知れない。どちらかがはっきりしないところが、夢と一脈通じる ような感じがして、子供の頃の思い出は捕えどころがなく、せつなく懐かしい。
 「チワラのとんど」は今から千三百年前、こ の地に生まれた役の小角、世にいう役の行者大峯山に荒行に出かける時に、そのはじめにあたっ戸開式というものがとり行われる、そのなかのイベントといえる。鋳物で造った大きな錠前がこの時捧げ持たれる、ということである。
 血生臭い事件の起こった地に生まれた役の行者が、その後呪術をもって人心をおおいに惑わした、という罪で伊豆に流されたことは、史に著しい。彼はいわばブラックマジックの創始者ともいうべき人で私にはきわめて興味深い。
 「日本霊異記」に彼の項がある。この記に書かれている話は皆どれも、ほんとかなあ、と思わせるものばかりではあるが、まるきり嘘っぱちでもなさそうなところもある。 古い文献というものは、現代に生きている人々にとっての、記憶確かならざる頃の思い出にも似て、どこか懐かしく、他人事と思えないような身近なひとつやふたつには、必ず出あえるという気がする。

(昭和六十三年十二月)


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