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「okatteでの発見。私、意外とみんなを誘える人なんだなって。」okatteメンバー 松村 良子さん【INTERVIEW #04】

2015年4月にオープンしたokatteにしおぎは、もうすぐ10周年。まち暮らし不動産が10年を勝手に振り返る企画として、関わってくださった方へのインタビューを連載しています。第4回はokatteにしおぎのシェア住居にもお住まいだった、松村良子(まつむら・りょうこ)さん。

<松村さん>
2015年4月  okatteにしおぎのシェア住戸に入居。メンバーになる。
2019年6月  okatteのシェア住居から杉並区内へ引越し。メンバー継続。
2019年  姓が山下さん→松村さんになる。
2022年  杉並区から他市に引越し。メンバー継続中。

聞き手・文:川越恵子(N9.5)
※イニシャルで登場する人の注釈はokatteメンバー向けです


住まなかったら、メンバーにならなかったかも

― まず、okatteに関わるようになったきっかけを教えてください。

最初ですよねー。たしか、2015年の年明けごろかな。家を探してたときにネットで調べていたら、なんかokatteのシェアキッチンの情報が目にとまったんです。それで見学に行って。キッチンがすごく魅力的だったのは覚えてるんです。広くて、イタリア製のオーブンがあって。それで、いいなと思ったときに、しのぶさん(N9.5/まち暮らし不動産 代表の齊藤)と竹之内さん(okatteオーナー)から、「2階に住めるから見ていく?」みたいなことを言われてたんです。その時、初めて住めるってことがわかって。それでたまたま住むことになったからメンバーにもなったって感じです。

― 最初は住めることを知らなくて見学に来られたんですね。

そうなんですよ。もし住まなかったら、メンバーになっていなかったかも。

― おうちを探していらっしゃるときは、あの近辺に住むことも考えてなかった?

はい。杉並区もぼんやりとしか知らなかったぐらいです。見学のときに「入居希望の締め切りまで、ゆっくりかんがえてね」みたいなこと言われて、見に行った日の帰り道に、「もう決めた」と思っていました。

第1回のokatteメンバー募集説明会はまだ絶賛仕上げ工事中の2015年3月22日。
松村さんが見学にいらしたのは、この半月後ぐらいだったようです。
最初の入居者さんたちを迎えたころの写真。
入居者さんと、大家さんと、まち暮らし不動産という顔ぶれ。2015年4月12日。

ー なんというか、すごいタイミングだったんですね。

そうなんです。
でも、キッチンにひかれてメンバーになったくせに、人と関わるのが苦手だったので、1階のシェアキッチンにいろんな人が来るのが怖くて、初めはキッチンに降りられなかった記憶があるんです。

 そうだったんですか。意外というか、他のメンバーのみなさんからうかがっている松村さんの印象と少し違うような気がします。

最初はね、私としては、すごく勇気が必要でしたね。2階の私の部屋のベランダから1階の土間が少し見えるのですが、キッチンに人が来ているときは、なんかもう、みんな盛り上がってるんですよ。できあがってるっていうか。それでちょっと入りにくくて、そわそわしていた覚えがあります。なので、サブキッチン(※1)で音を立てないようにコソコソご飯を作って、そっと上の部屋に戻って。みんなが終わって帰った頃に、ああすごい静かになったな、みたいな。

(※1)okatteには、okatteメンバーと一緒に使うコモンキッチンとは別に、住人だけのスペースにも別のキッチンがある。サブキッチンやプライベートキッチンと呼ばれている。

 シェアキッチンを自然に使えるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

きっかけは、あまりよく覚えてないんです。誰かが誘ってくれたんだったかな。今思えば、わりとすぐ馴染んではいたと思うんですけど。

okatteのハレとケ

― 他のメンバーへのインタビューで、2015年秋ごろのokatteオープンデー(※2)で、松村さんがきびきびと活動されていたとうかがっているので、そわそわしていた期間は短かったと思いますが、印象が強いのですね。

(※2)普段は住人とメンバーが使うokatte。okatteオープンデーは、「とりあえず開けとくので、どなたでもどうぞ」な日。その時々でメンバーが企画したお菓子やドリンクの販売、ワークショップなどが行われている。現在は奇数月の第3日曜日に開催。

そうかもしれません。やっぱりキッチンがきれいで素敵で、あそこにいる時間がすごく好きでした。イベントなどがない日は、いつもキッチンでご飯を作って食べていました。
ハレとケで分けると、ハレのほう、なんというかイベントごとは、たぶん私けっこうやってたと思うんです。その頃のオープンデーは、ご飯やお菓子を提供(飲食店営業許可に則った営業)したりしていたので、それが楽しくて。「来月のオープンデーは何出そっか?」みたいな感じで。

メンバーのSさん(※インタビュー#02坂井聖美さん)と岩手の藤勇醸造さんとのご縁から、イベントで販売するために、岩手県産のお味噌を使ったケーキ(インタビュー♯02坂井聖美さん参照)のレシピやパッケージを考えたときは、何度も何度もキッチンで試作をして、その度に竹之内さんやみなさんを呼んで食べてもらって。販売するときには、グループウェアの掲示板で「とにかくみなさん手伝いにきてください!」って呼びかけて(笑)。みんなでケーキをたくさん焼いて梱包して、”okatte工場”みたいで楽しかったです。

― ”okatte工場”と言えば、西荻ラバーズフェス(※インタビュー#03大沼史佳さん参照)でおにぎりと豚汁で出店したときも、そんな感じだったとうかがいました。

そうでしたね。それもたぶん私が言い出しっぺですね。みんなで相談して、まずみなさんの炊飯器をかき集めて(笑)。ひたすらokatteでおにぎりを作るチームと、それを運送するチームと、イベント会場の現地でおにぎりを売るチームを作って。思いがけずすごい好評で行列ができちゃって。「おにぎりの数がギリギリです!」「売り切れになっちゃいました!」「製造中です」「待ってます!」って感じで。私は販売チームで公園にいたんですけど、いろいろ終わってokatteに戻ってきたら、製造チームは、もう仕事は全部おわって、お茶飲んでて(笑)。面白かったですね。

あとね、私がすごい好きだし、好きっていうか自分で提案したんですけど、okatte音楽祭?文化祭?みたいなこともやりました。みんなそれぞれ、ピアノが弾ける人は演奏したり、歌える人は歌ったり、あと演劇や朗読とか、なんかそういうのをしたんですね。

 音楽会や文化祭のことは初めてうかがいました。

キッチンが大きいので、食べる話が多いですけどね。あのときは、板の間がステージになって、土間にみんなでゴザを敷いて座って。すごく印象に残っています。けっこう子どもたちもいっぱい出て発表してくれました。

2017年11月のオープンデーは「文化祭」に。歌や演奏、演劇もあった。

それから、Sさん(※坂井聖美さん)の結婚パーティーもめっちゃ楽しかったです。あれも何日も何日も前からメンバーの何人かで準備して、ドッキリも用意して。okatteには、いろんな技?得意で上手な?方がたくさんいるので、手芸とかデザインとか。あの玉、なんでしたっけ?ピニャータ?を手作りしてもらったり。みんなでいろんなアイデアを出し合って楽しかったです。

 人とかかわるのが苦手とおっしゃっていましたが、たくさんの人が楽しむイベントの中心にいらっしゃるイメージです。

こういうタイプじゃなかったので、okatteに来てから発見しました。私、意外とみんなを誘える人なんだなって。たぶん、okatteのメンバーのみなさんが誘いやすいというか、誘われ上手?だからだと思います。すごく面白くて、楽しい人たちばっかりで。やりたいことをやりたいって言えちゃった、そうさせちゃったんだと思います。

 キッチンにひかれて住むことになったり、みそケーキやおにぎりのお話など、お料理は、もともと好きなんですよね。

そうですね。好きです。お菓子を作る方が好きなのかな。一人暮らしをすると、一口コンロしかないところも多いですし、オーブンのある生活なんて絶対にできないと思っていたのでokatteのキッチンが大好きでした。仕事上、一応栄養士でもあるし、okatteの衛生面みたいなのは気になっちゃって、つい口を出しちゃうみたいなことも多かったかなと思うけど。みんな気をつけて使えるようになっていると思います。

住人の特権

 なるほど、そうだったのですね。いろんな人が使うキッチンですから。

そうなんですよね。でも、ハレとケの話に戻ると、ケのほう、イベントのない静かなokatteの日の方が実は好きで。こんだけイベントの話しておいてって感じなんですけど(笑)

 いえいえ。

例えばokatteアワー(※3)が終わってみんなが帰った後に、1人でキッチンのコンロを磨いたり、箸を揃えたり、シンクやテーブルをふいたりとか、何かそういう時間がすごく好きでした。さっきまでガヤガヤしてたのに静かにシーンとなって。あとokatteのライトもすごくきれいで。住人の特権だなと思いながら、けっこう至福の時間だったんです。

(※3)okatteアワー:メンバーが予約をせずに使える時間。夕飯どきなので、買ってきたものを食べる人、材料を持参して作る人など、ふらっと来て割り勘でokatteを使うことができる。

 想像するだけでここちよさそうです。メンバーは、朝9時~夜9時まで使うことができて、住人の方はそれ以外の時間も自由に利用できるのですか?

そうです。夜の9時を過ぎるとみんな帰っていくので、イベントの時間も楽しいんですけど、みんな帰った1人の時間が、静かで最高で大好きでした。

にぎやかなokatteも、しっとり静かなokatteもよいですね。(photo by Shuhei TONAMI)

― 3年間ほどokatteにお住まいになって、引っ越されたんですよね。

はい、たしかそれくらいです。最初はokatteに自転車で通える圏内を探して、荻窪、南阿佐ヶ谷、そして今は小平に住んでいます。okatteからは遠くなってしまいましたが、メンバーつながりの友人がよく遊びに来てくれます。この間はSさん(※あだ名がなぜか外国風の、いまは名古屋に住んでいるメンバー)が来て、来週はWさん(※実家が海産物加工業の、今は静岡にいる元メンバー)が、来月はKちゃん(※山崎聖美さん)が娘さんと一緒に遊びに来てくれる予定です。地方に移住されるメンバーもけっこういて、離れてしまうのは寂しいけれど、東京に来るときの宿としてうちを使ってくれる感じがすごくうれしくて。うちに来て会えるのもうれしいし、自分が地方に遊びに行くきっかけにもなっています。okatteでつながった人たちは、今はメンバーじゃなくなってもずっとつながっていられる感じで、それはありがたいです。大人になってから新しい交友関係っていうか、そういうのができるのはなかなかないことだと思うので、ありがたいし楽しいなと思います。

 ご結婚されたり、お引っ越しされたりで、okatteとのかかわり方というか、過ごし方が変わってきましたでしょうか。

家からokatteまでの距離が遠くなって、いまは子供がいるので、ふらっと行けなくなったのはすごく寂しいです。いつokatteアワーに行こうか狙ってるんですけども(笑)。あと、私は、もっぱら年末のおせち隊長をやるためにメンバーを続けてるみたいな感じもあると思います。okatteのおせちは、みんなでちょっとずつ受け持ちを作ることで、最終的に重箱にいろんな種類のおせちが出来上がるんですが、その場で食べないものだから、衛生管理とかは頼られてるのかもなと。

 みなさん、きっと毎年とても楽しみにされているのですね。

それぞれの家庭の受け継いできた味がぎっしり詰まった感じで、例えばなますとか、きんとんとか、ちょっと人が変わると細かい材料とか味も変わって、それが、美味しくて楽しくて。okatteのおせちを食べると市販のものが食べられないくらい、おいしいおせちなんです。今年のおせちは、私が出産直後で、つくる当日はokatteにいられなかったので、みなさんにおまかせして。

ごぼうのこぶまき。伊達巻や黒豆、田作り(ごまめ)などもつくります。
煮しめも大量。持ち帰るために人数分ずつわける。
試行錯誤の末、お重に詰めるのは家でやったほうがいいと知る。
持ち帰った後にメンバーがお重につめたおせち。(写真はメンバーの杉本正代さん提供)

 毎年の積み重ねで、内容も工程もブラッシュアップされているのですね。

何回もやることで、みんな効率もよくなってるし、衛生面でも、いろんな人が意識を高めてくれるっていうか。それはすごく大事だし大きいことだなと思います。それに、コロナ以降は、よくも悪くも衛生管理の意識が高まったんですが、仮に何かあったとしても、誰かが誰かを叩くとか、そういう人はいないと思えるのがokatteのいいところかなと思います。

【松村さんのベスポジ】

― 最後にokatte のベストポジションを皆さんにうかがっています。ここに座るのが好きだなとか、ここから見るこの景色が好きだなとか。松村さんはどこでしょうか?

土間から板の間に上がったところに大黒柱があるんですけど、板の間に座ってその大黒柱によりかかってキッチンを眺めるのがすごい好きです。住民だったので、みんながキッチンでなにかやってるときに、ただいまって帰ってきてあそこに座って、ちょこっと顔を出すみたいなことをよくしてたんです。

それと、okatteはお仕事で使う方もいらして(※4)。Hさん(※5)という元メンバーの方が、よくジャムを作ってらっしゃったんです。家に帰ると、すごくいい香りがするので、あっHさんだ!って、なんかすごい幸せな気分で。大黒柱のところに座って、Hさんのキッチンでジャムを作る背中を見ているのがすごい好きで。合間に少し、おしゃべりすることもありました。今もよく思い出しますね。

(※4)okatteの業務利用: okatteのキッチンは、飲食店営業・菓子製造の許可を取得している。許可に基づく利用ができるのは、資格等を有する「食のワークメンバー」のみ。利用時は厨房をガラス引き戸等で区分する等、利用ルールが定められている。

(※5)料理家のフルタヨウコさん。okatteにしおぎオープン時からのメンバー。北欧・暮らしの道具店でのジャムの販売や、同サイトを運営するクラシコム社の社員食堂で活躍されていた。okatteでは「HOME.」という個人としての別ブランドでジャムを製造。人気商品のため、okatteメンバーも入手困難だった。2018年2月、多臓器不全のため逝去。享年44。ご家族のご厚意でokatteにはフルタさんの形見分けの食器や調理器具がいくつかあり、いまも使われている。


松村さんのベスポジは「板の間に座ってその大黒柱によりかかってキッチンを眺める」。左の太い柱が「大黒柱」と呼ばれている。(実際には構造上の大黒柱ではありません)




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