見出し画像

#14 ベテラン

【1】
今週の月曜日未明のこと。

下腹部がどことなく重い。
ゆっくりと拳を押し付けられているような感じで、それは時間と共に鈍痛に変わっていく。
トイレに行っても効果なし。

嫌な予感が頭をよぎる。
もしかしたらアレかもしれない。
幾度も僕をのたうち回らせるアレかも。
いや、今回は違うと思う。
だって痛い場所が違うし。
頭の中で色んなことがグルグル巡る。
そうこうしているうちに、鈍痛は左脇腹に移っていった。
嫌な予感は確信に変わる。
......ああ、詰まっちゃったな。
軽い絶望を胸に抱えて救急車を呼ぶ。
3年ぶり5度目の尿管結石の発症だ。
27歳のときに初めて症状が出て以来、数年おきにこの痛みが襲ってくる。
どうやら僕は腎臓に結石が出来やすい体質らしく、更に左の尿管の一部が細くなっているようで、詰まりやすい条件が揃っているのだ。
そうこうしているうちに痛みはどんどん強くなる。じっとしていられないので、脇腹を押さえながら部屋の中をうろうろ歩き回る。
救急車に乗って救急病院へ搬送される。
そこでは痛み止めの処置をしてもらって、朝の4時過ぎに帰宅。
少し仮眠を取り、かかりつけの泌尿器科へいくと、3年ぶりの再会(?)に、担当医から「お、久しぶり」と言われ恥ずかしくなる。
有名レストランのコース料理のように、血液検査→尿検査→レントゲン→CTと検査は進む。
そのスムーズさに懐かしささえ感じてしまう。
診察で写真を見ると、右の腎臓内と左の尿管に大きな石の影が写っていた。しかも素人目に見ても、左の腎臓はパンパンに腫れている。
......ああ、こりゃヤバいわ。
僕の気持ちを慮ってなのか、担当医は「ま、いつものようにやるか」と、まるで長年の常連客に話しかけるように言った。僕の中で長い一週間の始まりを告げる号砲が鳴った。

【2】
担当医との相談の結果。
事態は深刻だけに即日手術に。
まずは左の詰まった結石はレーザーで直接粉砕、そして次の日に右の結石を体外衝撃波で粉砕というプランを選択する。
「ま、2泊3日のお泊りだな」
担当医の言葉がとにかくいい意味で軽い。
手術の方法については、改めて言葉を並べると大仰なのだが、過去にどちらも経験済みなので、実にあっさりと方針が決まった。
初日の手術は14時半から。
まずは病室に入り、入院着に着替える。
それから手術に備えて、看護師さんが点滴やら注射をしてくれた。
その間、各々の処置についての説明を受ける。

看護師「……と言うことになります」

まちだ「はい」

看護師「あ、でもご存知ですよね。ベテランさんですんね」

まちだ「それ止めてもらっていいですか(笑)」

看護師「ごめんなさい(笑)。それから……となります。あ、これもベテランさんだから、」

まちだ「だから止めてもらって、」

看護師「あ、そうでしたね(笑)」

こんな楽しいやり取りが何度か続いた。
その中でちょっと気になることが。
今回は全身麻酔で施術するとのこと。
それまでは部分麻酔だった。
ん?それじゃ眠っている間に、全てが終わっていると言うこと?
未経験なだけに、急に不安になる。
全身麻酔だけに、朝から食事も水分の摂取はできないそうで、未明からバタバタしていた僕は、前日の19時以降、何も口にしていない。
僕はこの時点でお腹が空いていたが、どうやら食事が出来るのはその日の夜になるとのこと。
空腹が新たな敵に加わった。
そんなこんなで、予定の時間を少し過ぎた14時50分、病室にストレッチャーが運ばれた。
自力で横たわる。
「それじゃ行きましょうか」
軽快な看護師さんの声と共に、僕は空腹と不安を抱えながら手術室という戦場へ向かった。

【3】
いよいよ第1弾「レーザーによる直接粉砕手術」のために2階の手術室へ。
ストレッチャーに乗せられていると、天井が次々と後方へ流れていく。
数年前、初めてここを通ったときは、不安からやたらと看護師さんに話しかけていたことを思い出す。
今回は無言。
我ながら落ち着いたものだ。

両開きの自動扉が開き、付き添いの看護師さんはここまで。
ここからは手術室専門のスタッフの手に委ねられるのだ。
いよいよだな。
僕の喉の奥がゴクリとなる。
背術してくれるのはいつもの先生。
割とせっかちな先生で、こちらが質問すると途中から答え始めるお方。

担当医「それじゃね、まずは左に詰まった石をレーザーであれしますんで」

まちだ「お願いします」

担当医「ま、その辺はわかってますよね」

まちだ「ええ、ベテランなので」

先手を打ったつもりだったが、担当医は無反応。

まずは改めて麻酔担当医から全身麻酔の説明を受ける。
異様に目力の強い麻酔担当医は、目力以上に圧の強めな語り口に若干引く。
まずは酸素吸入をして、実際に麻酔薬は点滴から注入するとのこと。

「まあね、気がついたときには全部終わってますから」

自信満々の目力先生だが、こちらとしては不安を完全に拭えたわけではない。
意識が全くない状態で、自分の身体をあちこちいじられるのだから、もし失敗でもされたらどうしよう。
気がついたら下腹部にみたことのない傷とかあったりしたら。
それどころか、あるべきものがなかったりしたら。
そんな不安を知るはずもなく、スタッフが僕の口元にマスクをつけた。
ここから出てくる酸素を吸えと言うことか。
すーっと酸素が流れてくる音が微かに聞こえる。
よし、決めた。
僕は麻酔で意識なんて失わない。
ここで何が行われたか確認するのだ。
自分の身体は自分で守るのは当たり前じゃないか……。

気がつくと僕は病室にいた。
看護師さんが話しかけてくれているようだがはっきりとはわからない。
あれ?どうしてここに?手術は?

看護師「あ、目覚めましたね」

まちだ「あの」

看護師「もう終わりましたから。お疲れさまでした」

まちだ「はあ」

時間は16時少し過ぎ。
実際、僕の手術室での記憶は、マスクを装着されてからせいぜい2呼吸くらいのもの。
嗚呼、完膚なきままにやられてしまった。
言い訳のしようのない敗北だ。
この時点ではまだ麻酔が抜け切ってはいないので、安静にしているようにとのこと。
看護師曰く、僕は術後、病室に戻る間に何度も「僕はベテランだから大丈夫」と呟いていたと言う。
恥ずかしさに穴を掘るスコップを咄嗟に探す。
何れにしても手術は滞りなく進んだらしい。
あるべきところにあるべきものもある。
気のせいか、左腎臓の腫れも引いているような気がする。
良かった。
ようやくここで僕は大きく息を吐く。

さて、この日に残された課題は空腹だ。
麻酔は効いていてもお腹は空いている。
勿論すぐに食事はできず、体調を見てから判断するとのこと。
食事の許可が出たのはその日の19時ごろだった。
胡麻をまぶしたおにぎりが二つ。それとお茶。
そっと口元に運ぶ。美味い。
幸福感が内側からじんわりと広がっていく。
静かな病室で、ゆっくりとおにぎりを食べながら、僕は自分の生を実感しているのだった。

【4】
ちなみにレーザーによる粉砕は内視鏡を尿道から尿管まで挿入。
モニターを見ながら詰まった結石を探す。
見つかったらレーザーを当てて粉砕するといった流れだ。
これは前回の手術で部分麻酔をしたときの話で、このときは僕もモニター越しに自分の体内を覗きながら、「これ石ですか?」とか、「結構硬いんですねぇ」などと喋っていたのだが、先述した通り、今回は全身麻酔だったので未確認だ。恐らく同じようなことが行われたものと思われる。

さて次の日。
割と快適に目が覚める。
朝食を済ませ、朝の点滴1リットル。
その間にこの日の予定を聞く。
午後から右腎臓にある結石を衝撃波粉砕手術で取り除くとのこと。

衝撃波粉砕手術とは、身体の外から衝撃波を当てることで結石を粉砕するという施術だ。
前日のような麻酔はなし。
まぁ、これなら楽勝だ。
手術までの時間をのんびりと過ごす。
食堂に置かれていた「はじめの一歩」の、鷹村守vsブライアンホーク戦に気持ちが熱くなる。

14時半少し過ぎ。

手術室に向かう前に注射を一本打つ。
意外にも痛く、思わず「うおっ」と唸った。
念の為にということで車椅子で移動。
颯爽と口笛でも吹きかねないほどの余裕綽々な気持ち。
まぁ、実際の僕は口笛は吹けないけれども。
前日と同じ手術台に乗る。
担当も昨日と同じせっかち先生。
まずは右脇腹にひんやりとしたゼリーを塗る。
そこにエコー(超音波)を当てると、体内の画像がモニターに映る。
さすがにこれは素人にはわかりにくい。

「さて、やるから。バチッとするけど大した痛くないからね」
バチッ!バチッ!バチッ!
おやおや、いきなり来たねぇ。
2秒に3回くらいのインターバル。
軽い衝撃が体内に走る。
今回はこれを3000発打つらしい。
最初は何も問題なかったのだが、100を越えた辺りだろうか、どうも変だ。
痛いのだ。
同じ場所に針をツンツン刺されている感じ。
痛みは回を増すごとに増幅される。
おいおい、痛くないと言っただろう。

「あ、ちょっと待って、ちょっと待って」

実にあっさりと音を上げる。
一旦衝撃波中止。

まちだ「ちょっと痛いですね」

担当医「そう?じゃ少し緩くするね」

まちだ「すみません」

そして再開。やっぱり痛い。
また止めてもらおうと思ったが、何度もやると怒られそうな気がして、しばらく我慢。
とは言え痛いものは痛い。
せっかち先生にバレないよう、奥歯を噛み締めながら、何とか3000発を乗り切った。

担当医「おつかれさまでした」

まちだ「ありがとうございます」

担当医「痛かったんでしょ。我慢しなくても良かったのに」

せっかち先生にはあっさりバレていた。

この後のレントゲンでは右腎臓の結石は見えなくなっていた。
取り敢えずこれで両方の結石の処置は終了。
次の日の診察で問題なければ退院となる。
退院したらまずアイスクリームを食べよう。
「はじめの一歩」の、幕ノ内一歩vsハンマーナオ戦を読みながら思う。

こうして2日目の夜が更けていくのだった。

【5】
二種類の手術を終えた。
衝撃波の後は多少の血尿が出るが、ベテランの僕が慌てるはずもない。
この二日間で通常ではあり得ないことが腎臓周辺で起こったのだから、ダメージはあって当然だ。
とりあえず水分をしっかり取ることを念頭に置いて静かに過ごす。
僕が積極的に水を飲むからか、看護師さんからは「もうこれはいいよね」と点滴を外される。
これでまた退院に向けて一歩前進。
夏休みの早朝、ラジオ体操に参加したときに押されるスタンプが貯まっていくような充足感。
水をたくさん飲む影響で、トイレに行く回数も増える。
詰まっているときはおしっこはほぼ出ないので(そりゃ詰まってるからね)、これもありがたい限り。
入院中、実はおしっこをするときにはあるルールがある。
破砕した結石が外に排出されているかどうかを確認するため、まずはおしっこをカップに全て集める。
それから支給された簡易的な漉し器(目の細かいザルみたいなもの)を使って濾すのだ。
もし結石がおしっこと一緒に排出されたら漉し器にそれが残る。
しかしそう簡単に出るわけでもないらしく、僕はこれまでの入院で上手く行ったことがない。
そんなこんなで三日目の午前中。
診察を終え、レントゲンでは気になる影は見られない。
「来週、もう一度来てください。まあ大丈夫だと思うけどね」
せっかち先生の言葉に安堵する。

病室に戻り、退院の準備をする前にトイレに行き、いつものようにおしっこをする。まだ赤みは残っているが順調に出ている。量も勢いも問題ないようだが……。
あれ?何だろう、この何とも言えない違和感は。
上手く言えないけれど、尿道の中で何かがぐるぐるしている感じ。
そうこうしているうちに、おしっこと一緒に小さな塊が飛び出て、カップの中に飛び込んでいった。
あ、これって、もしかして。
そう思うもおしっこはまだ出続けている。
早く終われ。終われってば。
もどかしさに僕は身悶える。
おしっこが止まるや否や、震える手をなだめながら、おしっこを濾す。
一度濾しただけでは濾し器は泡で何も見えないので、更に水を流す。
すると濾し器の中央に、1ミリにも満たない褐色の塊があった。

その瞬間、僕は聞いたのだ。
自分の中で育てた結石の産声を。

思わずナースコールのボタンを押す。

看護師「どうしました?」
まちだ「あの、出たみたいなんです、石」
看護師「そうなの?ちょっと待って」

すぐに看護師さんの軽快な足音が聞こえてくる。看護師は病室に入るや否や濾し器の中を確認し、「おめでとうございます」とにっこり笑った。
僕はもう一度、漉し器を見た。
何とも言えない感情が沸き起こる。

こいつか、この数日間、俺を苦しめていたのは。
本当に迷惑な奴だよ。
おかげで仕事も休んだし、その他の約束もキャンセルしちゃったし。
どうすんだよ、損した分をお前に請求してもいいんだぞ。
でもな、どうも不思議な気持ちなんだ。
何だろう、お前に会えて嬉しいって言うかさ。
そりゃお前だって悪気があったわけじゃないもんな。
分かってるよ、だってお前は俺の一部だったんだから。
ありがとう、出てきてくれて。
お前とは二度と会いたくないけど、でも会わなかったらこんな気持ちにもならなかったよな。
これで日常に戻れそうだよ。
ありがとう。……本当にありがとう。

「じゃ、退院の準備をして、終わったらおしらせください」
看護師は僕の一部を持って立ち去った。
きっと薬品に漬けられ、成分分析されて、あの結石はシュウ酸カルシウムの判定を受ける。
そして処分されてしまうのだ。
僕に痛みと喜びの相反する気持ちだけを残して。

私服に着替え、ベッドを整え、僕は病室を出る。
治療費は決してお安くはないが、ベテランらしく、そこは想定の範囲内。
3日ぶりに外に出ると、そこは一面の銀世界。
今年の札幌は極端な雪不足だったのだが、僕が入院中にまとまった雪が降ったのだ。
大きく息を吸い込むと、冷気が心地よい。

さて、帰ろうかな。

白い道を踏みしめる。歩を進めるたび、僕の復帰を歓迎するかのようにキュッキュッと雪が鳴った。
(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?