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#22 「18.44m」(2/6)

 仕事が終わってから、私は中島公園近くの喫茶店で溝内と向かい合っていた。他に客はいなかった。ソファやテーブル、壁紙、照明に至るまで全てが古めかしい設えで、これまた古いスタイルの口ひげを蓄えたマスターが我関せずという体でタバコをふかしながらスポーツ新聞を読んでいた。私はコーヒーを注文した。溝内は何もいらないと言った。
 やはり夜になって雨脚が強くなってきた。通りに面した大きな窓ガラスに雨粒が激しく当たる。道行く人々が足早に横切っていく。青黒い雲に遮られて空が見えない。公園を囲むように生えている楡の木々の影が、大きく手を広げて立ちはだかる得体のしれない怪物のようで不気味だった。
会うなり溝内は饒舌だった。
「なあ、考えてみるだけでもいいやろ。そりゃあんたにも言いたいことはあるだろうけどさ」
「いや、でも」
「ようやく名誉が回復するんや。ここは素直に受けたほうがええって。そしたら何やら仕事が入るかもしれん。そう思わんか?」
 
 久しぶりに耳にする溝内の関西弁だった。
 溝内義郎は私が現役時代、スポーツ紙「スポーツジャパン」の南海ホークスの番記者だった。主な取材対象は当時のスター選手である野村克也や杉浦忠だったが、彼は若手にも積極的に声をかけていた。そうして徐々に親交を深め、試合のないときは一緒に食事に行ったり、麻雀卓を囲んだりするようになった。しかし「あること」が原因となり、私と溝内との関係は絶たれた。以来、会うことはおろか、思い出すことさえなくなった。だから溝内がなぜ私を尋ねたのか見当もつかなかった。
 溝内は私にマスターズリーグに出ないかと持ち掛けてきた。マスターズリーグとは、往年のプロ野球OBで構成され、2001年以降、毎年シーズン終了後に行われていたリーグ戦のことである。当時5つのチームが組織され、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡に本拠地を置いていた。2009年を最後に休止したが今年から再開されることになり、溝内は12月中旬に行われる札幌ドームでの試合に私を登板させたいというのだ。
「ええアイディアだと思わんか?向こうも結構乗り気なんやで」
「義郎さん、そんなの無理だって」
「なんでや。そんなことない」
「見れば解るだろ。こんな老いぼれだ。もう投げられない」
「老いぼれはお互いさまや。昔取った杵柄があるやろ。今からトレーニングすればそれなりになるって」
「いや、でも」
「何も昔みたいにって言ってるんやない。外ノ池卓司がマウンドにいる。それだけでファンは喜ぶんやって」
「そんな人、いるわけない」
「おるって」
「義朗さん、あんたがそんなこと言うなよ」
 控えめに言ったつもりが店内に大きく響いたようだ。店のマスターが意味ありげに一つ咳払いをした。雨は間断なく降り続ける。呼応するように楡の木がざわと揺れた。
「誰のせいだと思ってるんだ」私は必要以上に声を潜める。
「義朗さん、あんたのせいだろ。あんたがあんなことしなかったら……」

 私は入団して一年目はずっと二軍暮らしだったが、翌年から徐々に一軍に呼ばれるようになった。二年目は5勝3敗。そして三年目の1969年、チームは最下位に終わったが、私は12勝6敗の好成績を収めた。シーズンが終わってから突如として地元大阪のメディアからも大きく取り上げられるようになり、テレビや新聞の取材依頼も増えた。年棒も大幅にアップした。これでいけるかもしれない。そんな手応えを感じていたこの年の十月初旬、世間を揺るがす大事件が起きた。
 ある選手が暴力団にそそのかされて八百長をしていたことが報道され、それが呼び水となり、多くの現役選手が不正試合に関わっていることが判明したのだ。
 いわゆる「黒い霧事件」である。
 この騒動に世間は不信感を募らせ、プロ野球の人気は一気に低下した。後に西鉄ライオンズや東映フライヤーズの球団売却に至る事態にまで発展した。当時のマスコミは、連日こぞって八百長に関わったとされる選手を実名で報道した。世間の中にもそれを望む雰囲気が立ち込めており、それは一種の魔女狩りの様相を呈していた。
 その事件は、私の運命の歯車も大きく狂わせることとなった。

〈1970年1月13日付、スポーツジャパンの記事〉
 日本のプロ野球はどこまで落ちぶれるのか。
 八百長事件に関わったとされる選手が連日公表されているが、十三日、南海ホークス四年目の外ノ池卓司投手(25)が、昨季の数試合で八百長行為に関わっていることが独自の取材でわかった。(中略)尚、球団側は事実を確認中と明言を避けているが、調査は避けられない状況だ。これまでの経緯を考えると厳罰は免れず、コミッショナー委員会から厳しい処分が下される公算が大きい。いずれにしても、日本プロ野球の新たな汚点となることは間違いなさそうだ。(担当・溝内義郎)

 記事を目にしたとき、私は自分がこれまで積み重ねてきたものや、信じてきたものが脆くも崩れ去る音を聞いた。それは静寂でありながら全てをなぎ倒すほど暴力的だった。しかも公私にわたって慕っていた溝内善郎によるものという事実が、私の絶望をより増幅させた。
 私は焦りに震えながら溝内に連絡を取ろうとした。しかし溝内に話を聞くはおろか、会うことさえ叶わなかった。私の最後の希望は、目に見えない障害物によって木端微塵に砕け散った。記事が自分にどんな影響を与えるかは計り知れなく、間もなく訪れる試練というには余りにも残酷な時間を思い、ただ強く拳を握り締めるしかなかった。
 困惑と混乱の中、私は己の立場を述べる場を一切与えられず、永久追放という極めて重い処分を受けた。実働2年。通算成績17勝9敗、防御率3.48。それが外ノ池卓司の残したプロ野球人生のすべてだった。

 私が帰宅したのは午後九時を過ぎていた。結局、一杯のコーヒーで何時間も過ごす羽目になった。最後まで溝内は何も注文しなかった。私たちがいる間、他に客は来ず、マスターもカウンターの奥から出ることもなかった。閑散とした店内で、私は不毛な時間を垂れ流した。溝内はコーヒー代さえ払ってくれなかった。
「全くもう。遅くなるなら晩ご飯くらい食べてきてよ」
 文句を言いながら貴子が台所に立った。残り物でも温めているのだろう。拓海はもう寝たようだ。
「簡単なのしかできないからね」
「ああ、それでいい」
「そういえば、お父さんが帰って来る前に電話あったよ。溝内さんって人から。いないって言ったらまた連絡するって」
 再び苦々しい気分が込み上げた。家にまで電話してくるとは何を考えているのか。時間の経過は人から常識や節度というものを奪うのか。苛立ちがどんどん醸成されていく。奥歯を強く噛みしめる。
「ねえ、それ誰?」
「何でもない。古い知り合いだ」
 温め直してもらった野菜スープを一口すすった。雨に濡れて冷えた身体に染みていく。貴子は溝内のことには余り興味がないようで、それ以上のことは聞いてこなかった。私はそっと安堵する。
 家族の中に私の過去を知っているものはいない。静江が野球に疎かったことや、結婚したのが事件から随分経ち、世間の記憶もようやく薄れてきた頃だったのも幸いした。それほどまでに事件発覚直後の状況はひどいものだった。テレビや新聞、中には素性の良くない週刊誌などから連日追いかけられ、自分が喋ってもいないことが次々に報道され、世間はいとも簡単にそれを信じた。応援してくれた人々は引き潮のように一斉に去り、中には年俸を返却しろと言う者までいた。球団はそれなりに事態の収拾に努めてくれたが、世論の圧力の前にはどうしようもなく、私は退団を余儀なくされた。無理やり野球から引き剥がされ、再就職しようにも、外ノ池卓司の名前が行く手を阻んだ。嫌味、罵倒、冷笑。それらが鋭利な刃物となって私の心に容赦なく傷をこしらえた。これは私だけではなく、程度の差こそあれ、八百長に関与したと退団させられた選手の多くが突きつけられた現実だったようだ。
 扉の開く音がした。寝ているはずの拓海が居間に入って来た。室内の眩しさに顔をしかめている。寝惚けているのか、ふらふらと足取りが定まっていない。
「拓海、どうしたの?」
「……おしっこ」
「はいはい。お父さん、あたし拓海を寝かし付けてくるから。その食器、洗っといてね。ほら拓海、行くよ」
 愚図る拓海の手を引いて貴子が出ていった。
「いかんなあ」
 残された私は、冷めかけたスープをわざと大きな音を立ててすすった。

 初夏の青空にはめ込まれたように、入道雲がのんびりと浮かんでいた。ここ数日は過ごしやすい天候が続いている。それでも日ごと強くなる日差しに、程なく訪れる盛夏の予兆が感じられた。
 中島公園の散歩は拓海の希望で密かに続いた。公園内はジョギングしている人や絵を描いている人、ペットとの時間を楽しんでいる人など、平穏な雰囲気に満ちていた。貴子が言うほど危険な場所とは思えなかった。それでもこのことが知れると怒られるのは目に見えている。何か適当な言い訳が必要だと思った。
 この日も拓海がアイスクリームをねだった。むしろ散歩の目的はこれなのだろう。私が難色を示すも、母親には内緒にしておけばいいと言う。最近の拓海は、こうして私との秘密の共有を楽しんでいるようだ。いつの間にこんな知恵が働くようになったのか。私は一瞬迷う。しかし世間一般の祖父がそうであるように、私も孫には殊のほか甘い。「それじゃ買いに行こう」と言うと、拓海はつぶらな瞳を輝かせ、私の手を握り、先導するように少し前に出た。孫の負担にならないように小さな歩幅に合わせようとするも、左膝の違和感で二人の歩調にさほど差はなかった。手をつないだ新芽と老木がせかせかと貸しボート小屋を目指して歩く。
 日差しに表面が少しだけ溶けたアイスクリームを、拓海が不器用に食べていた。その姿に触発されたのか、私は先ほどから尿意が強くなってきた。食べ終わるのを待つほどの余裕もなさそうだ。仕方なく貸しボート小屋のトイレを借りることにした。その旨を伝えると、食べることに夢中の拓海は無言で小さくうなずいた。この辺は見晴らしも悪くない。少々の時間なら一人にしておいても大丈夫だろう。
 随分と使い込んだ便器の前に立ち、ズボンのチャックを下ろし、萎びた陰茎を取り出す。ゆるゆると小便が出る。すっかり勢いを失ったその様子に、人知れず胸の奥がざらついた。
 あれ以来、溝内は何度か私の許を訪れた。
 仕事場で休憩しているところを狙いすましたように現れ、「やる気になったか」と判で押したように話しかけてきた。当然私は断った。現役当時に17勝したとはいえ、さほど突出した成績を残したわけでもない選手など世間が覚えているはずもなく、こんな老いぼれを世間の目に晒すことに何の意義も感じられない。溝内はすぐに帰ることもあったが、ずっと粘って説得しようとするときもあった。彼の真意が全く解らず、心の中にただ苛立ちだけが積み重なった。
 用を足して戻ると、そこに拓海の姿はなかった。辺りを見回すも見当たらない。咄嗟に貴子の言葉が蘇る。血の気が引き、冷たい汗が背中を流れた。思わずその場を離れたものの、どこに行けばいいのか皆目見当もつかなかった。目的地の見えないまま歩いた。目の前にはいつもの安寧な風景が広がっている。似たような姿形の子供は大勢いるが、そこに拓海はいなかった。
ついに私は走り出した。気ばかりが急いて道端の小石でさえつまずきそうになった。傍から見れば随分と頼りない走り方だっただろう。すれ違う人が奇妙そうに私を見ていたが、それを気にしている場合ではなかった。呼吸はすぐに荒くなり、道中、何度も同じ場所に出た。これだけ多くの人がいるのに、拓海だけがいないのはどうにも解せなかった。
 やがて私の足はすっかり止まってしまった。ぜいぜいと息が上がる。鳩尾付近が萎むように痛んだ。意識が遠くなっていく。急に走ったのがいけなかったのかもしれない。しかしこうしてはいられない。こうしている間にも拓海がどうにかされているかもしれないのだ。次々と浮かんでくる邪な想像を必死で振り払った。
 そのとき、公園内の人全てが一斉に大声を上げたような音が私の背中を直撃した。その衝撃に膝をついて倒れこんだ。ほぼ同時に強い光が細かく明滅しながら降り注ぎ、周りの何もかもを白く歪めた。その音はずっと続いている。私は耳をふさぎ、目をきつく閉じた。額に脂汗が滲んだ。喉が渇き、声も出なかった。同時にある思いが浮かんだ。私はこれを以前に味わったことがある。あのとき、大勢のマスコミに囲まれ、フラッシュを浴びせられ、闇雲に群衆から逃げ回り、もはや自分がどこにいるのかも解らず、ただ身を丸め、押し寄せる波に飲み込まれそうだったあの感覚に酷似していた。
 なぜそこまで執拗に追い詰めるのだ。
 私が何をしたというのだ。
 激しさを増す轟音と閃光は私から冷静さを奪った。四肢の感覚が麻痺していく。どんな格好をしているのかも解らなくなった。無理やり喉に力を込めたが、自分の声は全く聞こえなかった。生と死のはざまに放り投げられた気分だった。
 それからどれくらい経ったかは解らない。
 ある瞬間に、全身を取り巻いていた感覚がすっと消えた。
 ふと目を開ける。入道雲が浮かぶ夏空が戻っていた。しかし日差しがじりじりと皮膚に焼き付き、目に見えるものが先ほどまでとはかなり異なっていた。黄土色の地面と風に舞う砂埃、短く刈り込まれた芝生、フェンス越しに古びた公営団地が数棟見える。後頭部の内側が針のようなものでつつかれると、その刺激に押し出されるように、記憶が頭をもたげた。
「……中百舌鳥?」
 そこは私が南海ホークス時代に二軍生活を送っていた、中百舌鳥球場の一塁側ダグアウトだった。どうしてこんなところに。つい先ほどまで孫と中島公園にいたのだ。少し席を外しただけだ。一体に何が起こったのだ。いや、そんなことはどうでもいい。拓海は。孫はどこにいるのだ。
「おじいちゃん!」
 声に視線を向けると、そこには少し寸法の大きなユニフォームとヘルメットを身につけ、青いおもちゃのバットを手にした拓海がいた。
「どう?すごい?」
 私は孫の問いかけに返事もできず、ただ呆然としていた。
「これからね、かっとばすの。見ててよ」
 バッターボックス内で拓海はそう言って打撃姿勢を取った。右打ちか。腰の据わった、なかなかしっかりとした構えだ。「さあ、来い!」と勇ましく叫ぶ。球場に響く甲高い声の行き先を自然と目で追うと、拓海から数歩離れたところに、仕立ての良い淡い色の着物姿の中年女性がいた。軟式球を模したゴムボールを手に、少し身をかがめて静かに微笑んでいる。
「それじゃ投げますよ。打てるかな……、はい」
 女性が放ったゴムボールは、拓海に見事に打ち返された。小さく描かれた軌道が夏空に良く似合っていた。打球は三塁ベースの手前で落ち、弾むように転がった。入道雲が左翼側から右翼側へゆっくりと移動していた。
「やった!やった!おじいちゃんみてくれた?」
「……」
「ねえ、おじいちゃんてば!」
「……静江」
 

 6回の裏、東映フライヤーズがチャンスをつかんでおります。一死満塁でバッターは五番の大杉。南海ホークス鶴岡監督、何とここでリリーフに二年目の外ノ池を送ってまいりました。これは驚きです。この思い切った采配が吉と出るか凶と出るか。
 マウンド上で大きく息を吐いた外ノ池、今日も右腕をぐるんぐるん回しております。やや緊張の面持ちか。対する大杉は貫禄充分の佇まいです。さあ外ノ池が大きく振りかぶって第一球を投げた!打った!これは大きい。レフトバック、レフトバック!……見送った、ホームランです。ここで大杉の逆転満塁ホームランが出ました。たった一球で奈落の底に突き落とされました!マウンド上でがっくりと膝をつく外ノ池、さすがにこの場面では荷が重かったか。6対4、東映フライヤーズが逆転です!

 暗い部屋で一人、腹回りにタオルケットをかけて横になるも、なかなか寝付けずにぼんやりと天井を眺めていた。既に午前三時を過ぎた辺り。そろそろ東の空が白んでくるだろうか。北海道は朝の訪れが早い。
 案の定、貴子にはこっぴどく叱られた。拓海が夕食を全然食べなかったからだ。しかし叱責の言葉などほとんど上の空だった。あのとき目にした光景がずっと気になっていた。中百舌鳥球場、ユニフォーム姿の拓海、入道雲、そして……、静江。

「おじいちゃん、ほら打ったよ」
 幼くも誇らしげな声が聞こえた。額に浮かんだ汗が光っていた。拓海のプレーを見るのは初めてだ。いつの間にあんなことが出来るようになったのか。何よりどうして私はここにいて、そこに静江がここにいるのか。
「その人、誰か知ってるのか?」
「うん。僕のおばあちゃん」
 静江は拓海が生まれる前に亡くなっている。しかし拓海は静江を自分の祖母と認識していた。一体どういうことなのだ。私は立ちすくむ。
 いつの間にか静江が前に立っていた。「お久しぶりですね」と話しかけられるも、私は喉の奥がくっついてしまったようで、思ったように声が出せなかった。静江は静かに微笑むと、ゆっくりと芝生の切れ目にあるゴムボールを手に取り、拓海に手渡した。
「いい天気ですね。凄く気分がいい」
「そうだな」
「拓海くんも、こんなにあんなに大きくなって」
「知ってるのか。拓海のこと」
「勿論です。拓海くんのことも、あなたのことも」
 そう言いながらゴムボールで遊んでいる拓海を見守る横顔は、孫を慈しむ以外の何者でもなく、その温かさに私は静江が本当に目の前にいるということを実感した。
「静江」
「はい」
「元気だったか」
「まあ。変な質問ですね」
「それもそうだな」
「そちらはどうですか?」
「どうしたもんかな。あ、貴子がだんだんお前に似てきてな」
「色々と口うるさい、ですか?」
「え?」
「言ったじゃありませんか。何でも知ってるって」
「……いかんなあ」
「それでどうするんですか?……野球、やるんですか?」
「……」
 強い風がグラウンドの土を吹きあげた。
 拓海はまだボール遊びに興じている。
 私は何も言えず、ただ静江を見ているだけだった。

 眠れない時間は、結論の出ない思考を連れてくる。あれから覚えているのは、いつの間にか中百舌鳥球場も静江も跡形もなく消え、聞き慣れた中島公園の穏やかな喧騒が戻ってからだ。拓海は私の横で何事もなかったようにベンチに座り、黙々とアイスクリームを食べていた。
 夢だったのだろうか。あらゆる事柄の何もかもが解らなかった。しかし衰えた脳に答えを求めるのは酷だ。もう今夜は考えるのは止そう。私は寝返りを打ち、タオルケットを被った。無理やりにでも眠ろうとするが、最後の静江のあの言葉が頭の中でずっと繰り返されていた。(続く)

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